第60話
「僕は、そんなに強くない。名前の通りに、勇気のある人間なんかじゃないよ」
「……そりゃ、そうだ。何度も死にそうな目に遭ってたら、どんな奴だって臆病に」
「違う、そうじゃなくて」
ふるふると何度も首を振る勇気。その拍子にズボンのポケットから何かがずり落ち、ぽさっと頼りない音を立てた。
つい反射的にそっちに目をやれば、落ちていたのは小さめのスマホだった。たぶんキッズ用だろうし、今時は小学生がスマホを持ってたって何の不思議もない。拾ってやろうと手を伸ばしてみると、ぼんやりと光っている液晶画面の待ち受けに、長い髪を三つ編みにしているかわいい女の子と一緒に満面の笑みを浮かべている勇気が映っていた。
「この子が、志穂ちゃんか?」
無粋だとは分かっていたけど、聞かずにはいられなかった。スマホを拾ってそのまますぐ渡しながら聞いてみれば、それに気付いた勇気はすぐにこくんと頷きながら受け取ってくれた。
「五月に転校してきた子で、席が隣なんだよね。栽培係を一緒にやってて、クラスで育てているひまわりの花壇に毎日一緒に水をあげてる」
「へえ、仲良しか?」
「うん。だけど……」
「だけど?」
「この間の社会科見学の時、僕と一緒にいたせいで、志穂ちゃんまで怪我を……」
そう言うと、勇気は右手で左腕をぎゅうっと掴んだ。掴んだ先の半袖の下にうっすらと見える傷跡は、たぶんその時のものなんだろう。軽傷で済んでよかったとは思うけど、この次もそうだとは限らない。誰かを助けるたびに、これからも勇気は……。
「僕には勇気なんてない、ただの弱虫だ」
スマホの液晶画面と向き合いながら、勇気が言う。ぽたりと、涙が一滴そこに映っている志穂ちゃんの顔に落ちた。
「あの時、悪い奴が向かってくるの分かってたのに、怖くて動けなかった。志穂ちゃんが引っ張ってくれたからこれくらいで済んだのに、そのせいで志穂ちゃんまで転んで怪我を……」
「……」
「誰かを助けるたびにこうなるって分かってるんだから、何もしなきゃいいんだ。迷子を見かけたってほっときゃいいし、いじめられてる奴がいたって僕には関係ないって思えばいい。お年寄りが困ってたってお手伝いなんかしないよって。なのに、そんな無視できるだけの勇気は僕にはないんだ……」
「そんなの勇気って言わねえ。それは、ただの薄情だ」
「……怖いよ、お兄ちゃん」
服の裾を掴まれた感触を覚えて、俺はそっちを見やる。勇気のまだ小さな手が小刻みに震えながら、そこにあった。
「このまま、ずっと牛鬼の血に引っかき回され続けるのが怖い。そのせいで誰かを助ける事もしないで、冷たい人間になっていくかもしれないのも怖い。でも、だからって、ママの言う通りにしてあやかしになるのも怖い。怖い事だらけなんだよ、お兄ちゃん。どうしたらいい、僕はどうしたら……」
「勇気」
俺は、声も体も振るわせ続ける勇気の肩をそっと抱き寄せてやる事しかできなかった。
どうすればいいかなんて、今の俺に何で答えられる? 就活に失敗続きで何者にもなれず、嫌々な気持ちで家業主をやっているような俺に、こんな壮絶で厄介な悩みを抱えている子供に何て言ってやる事ができるってんだ……!
俺は心の中で何度も「ごめん」と謝りながら、勇気が一人で答えを出すまで……いや、答えを出させてしまうまで、ずっと一緒にいた。
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