第56話

自分の夫も、その父親も牛鬼の運命に翻弄されて短い生涯を終えてしまった。曾祖父は、そんな運命に苦しみたくないからと自らあやかしになった。せめて息子だけは、そんな苦しみを背負いませんようにと願っていただろうに、まさか自分の方から誰かを助ける仕事に就きたいという予想外の言動に出るとは思わなかったんだろう。


「何度も言い聞かせました。先祖が牛鬼だというあやかしである事もしっかり話して、その運命についてもちゃんと。でも、勇気は全然聞いてくれなくて……」


 溢れ出て止まらない涙を何度もハンカチで拭いながら、由実さんが言う。そんな中、勇気は静かに座ってはいたものの、だんだん顔つきが不機嫌そうに歪んでいった。


「直接、人助けになるような仕事以外を勧めてみました。できるだけ一人で作業できて、あまり長い時間誰かと関わらずに済むようなデザイナーとかプログラマーとかを。でも、勇気は一度だって納得しません。この作文も授業参観で読み上げただけで、いきなり引き付け起こして倒れてしまったっていうのに……!」

「……そんなの、たまたまだよっ!」


 今度は勇気の方が我慢できなくなったのか、ちゃぶ台に思いきり両手を叩きつけて大きな声を出した。


「あの日は僕がトップバッターで、前の晩からちょっと緊張しててあんまりよく眠れてなかったから……! 牛鬼のせいなんかじゃないよ!」

「そんな事言って、さっきだってお年寄りに電車の席を譲っただけで過呼吸になっちゃったじゃない……」

「それもたまたま! ママがこんな変な家に連れてきたりするから、ずっとドキドキしてただけだよ!」


 ……おい、こら。確かに俺も自分の実家はおかしいと思ってるし、ただの一度だって友達を家に入れた事なんてないけどな。それでも、よそんちの子供に変な家とか言われる筋合いはねえぞ。


 そう言ってやりたいのを忍耐力をフルに使って堪えながら、俺は古文書の中の牛鬼の項目にある最後の一文に目を通す。そこには、勇気の先祖である牛鬼の死に様がはっきりと書かれてあった。


「たまたまじゃねえぞ、勇気」

「え……」

「お前のお母さんが言ってる事は本当だ」


 言いながら、俺は開きっぱなしの古文書のページを由実さんと勇気に向けてやる。古い上に、少し崩れた書体で書かれてあるから読みにくい部分もあったかもしれないが、それでも何とか理解できたのだろう。途端に勇気は押し黙った。


「こ、これって……」

「そうじゃ。人間として生きる事を決めた牛鬼は、村娘と添い遂げて子供もできた。ワシに何度も「おぞましい存在の自分にはもったいない幸せだ」と言いに来てくれたわい。じゃがある日、大きな津波が村を襲った。皆を守る為、二度となるまいと決めていたであろう元の姿に戻った牛鬼は、災厄を操る異能力を逆に作用させて津波を消し去った。その直後に塵となって消えてしまったんじゃ……」


 まるで昨日の事を思い出しているかのように、鮮明にその時の事を話してやるジジイの言葉には強い説得力があった。だからなのだろうか、由実さんの声はますます悲痛なものとなっていった。

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