第55話

彼女のその思いが確信に変わったのは、ご主人の葬儀の際、母親である姑からこう聞かされた時だった。


「自分の夫は消防署に勤めていた。ずっと内勤をしていたのに人手不足だからと消防士になってしまった。そのせいで、初めての現場に行った時、逃げ遅れた人を守って代わりに焼け死んでしまった。牛鬼の血が、私から夫も息子も奪ったのよ……!」


 その話を聞いて、一気に不安が蘇った由実さんは自分なりに牛鬼の事を調べてみた。その過程で、牛鬼のこんな一説を知ってしまった。


『ありとあらゆる災厄を操りし牛鬼は、人間に害なす存在なり。ゆえに、決して人間を救う事なかれ。ひとたび人間を救う事あらば、その牛鬼の身、ちりとなってこの世より消えるべし』


 つまり、牛鬼は人間にとって悪でしかない存在であり、その行動原理や存在理由もそれに添うものでなくてはならない。だから、これらに反する事――分かりやすく言えば、人間の命を救うという事そのものが、牛鬼自身の命を脅かす事に繋がる。牛鬼の子孫である西岡家の人間も、例外ではない。


「……だから私は、勇気に牛鬼の運命が降りかからないよう、細心の注意を払って育ててきました。いえ、そのつもりだったんです。でも、この子が成長するにしたがって、だんだん怖くなってきました」

「何で?」

「とても心が優しい子に育ってしまったんですっ……!」


 そう言うと、ついに我慢できなくなってしまったのか、由実さんはわあっと顔を伏せて泣き出してしまった。


 普通の親だったら、自分の子供が誰にでも分け隔てなく優しく接する事のできる人間に育ちつつあるなら、何よりもそれを心の底から喜ぶだろうと思う。でも、牛鬼を先祖に持つ勇気の場合、そういう訳にはいかなかった。


 小さい頃から優しい性格だという勇気は、いろんな所で人様を助けてきたらしい。荷物が重くて困っているお年寄りを見かけたら自分から声をかけて手伝ってやったり、ボランティア活動に積極的に参加したり、少し前には社会科見学で警察署にも訪れ、交通安全のパトロールの真似事もしたらしいけど。


「お年寄りを助けて横断歩道を渡り切った直後に、信号無視のバイクに当て逃げされました。ボランティア活動で公園の掃除をしていたら、太い木の枝がいきなり折れて頭を直撃して……。社会科見学の時だって、指名手配中の殺人犯と鉢合わせてナイフで切り付けられたんですっ……!」


 と、こんな具合に牛鬼の運命が作用して、誰かを助ける為に何かしらやろうとすると必ず死にそうな目に遭うようになったという。


 これだけでも心痛極まりないのに、さらにトドメとなったのが先日の授業参観の時、勇気が発表したのがこの原稿用紙の内容だったという訳で。そこまで聞いて、ようやく俺は由実さんの気持ちが少し分かったような気がした。

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