第35話

翌日の朝っぱらからも、「あやかし専用託児所」を担う我が家の前は大騒ぎだった。


「やぁ~! マンマァ、うあ~ん!」

「勘弁してね、比奈子ちゃん。ママが働かないと、比奈子ちゃんの大好きなミルクも飲めなくなるんだからね? お願いだから、翼をしまってよ」


 母親と離れるのが嫌で仕方なく、ひたすらギャン泣きして翼を出しっぱなしにする比奈子を生方さんが玄関先で必死にあやす。その横では、六郎がこれでもかって量を詰め込んだ風呂敷包みを一メートルほど伸ばした首にしっかりとくくり付けて、もどかしそうに立っていた。


「おい、優太。早く中に入れろよ。今日は皆で遊べるようにうちにあったおもちゃ全部持ってきたんだぞ!」

「それは分かったから、もうちょっと待て六郎。先に比奈子の預かり手続きを済ませないと……て、おいこら!」


 俺の言う事なんか全く耳に入れず、「おっじゃましまーす!」と六郎はずかずかと先に中へ入っていく。あのやろ、思いっきり靴を脱ぎ捨てていきやがって。今日の特訓に靴を並べるって奴も追加しなきゃだろうが。


 結局、比奈子はもっと後から瞬間移動の護符を使ってやってきた双葉から「比奈子ちゃん、一緒に行こうねぇ」と声をかけられるまでちっとも落ち着かず、俺の鼓膜を破く一歩寸前まで追いつめた。子への愛情と執着が異常に強かったとされるあやかしだった姑獲鳥は、子を思って響かせる鳴き声が半径十キロメートルまで届いたらしい。比奈子がこのまま泣き虫な性格にならないようにしなくちゃな……とつい呟いちまった俺に、生方さんは何度も申し訳なさそうに頭を下げていた。


「それじゃ、今日も娘をお願いします」

「双葉を頼んだよ、優太。行ってきま~す!」

「はい、確かに預かりしました。二人とも気をつけて」


 再び瞬間移動の護符を使って、元いた町の家へと戻っていく双奈と生方さんを見送ると同時に、うちの居間の柱にかかっているレトロな振り子式の掛け時計がちょうど九時を知らせた。


 ブォ~ン、ブォ~ン、ブォ~ン……。


 俺が生まれるずっと前に死んでしまった、婿養子のじいちゃんが一番気に入っていた時計らしい。その分、大きくて相当古い代物だから、時間を知らせる音は不気味なほどに野太くて家中によく響く。子供の頃は鳴り響くたびにびくっと体を硬直させてしまい、何度もばあちゃんに外してくれと訴えたものの、じいちゃんとの大事な思い出の品だし、何より託児所の大事なシンボルみたいなものだからと許してもらえなかった。


「さて、九時か……」


 「あやかし専用託児所」には、いちいち「今日は休みます」みたいな連絡はいらない。午前九時までに子供を預ける事がなければ、それならそれで大丈夫ですといった暗黙の了解ができてるから、こっちからも親に連絡する事はない。じいちゃんの掛け時計が九時を知らせた時点で、本日のお預かりは終了だ。


 今日は六郎と比奈子と、双葉の三人か。昨日よりは楽そうだな。


 そう思いながら、俺も家の中に入って和室に向かおうと玄関に入った時だった。ふいに、背中の向こうでつむじ風みたいな術の気配がして、その直後、いきなり三人分の人影が俺の足元までにょきにょきと伸びてきた。


「……日和様から聞いたんだけど、ここがあやかし専用の託児所かよ?」

「ちょっと相談に乗ってほしい事があるんですけど、いいですか?」


 男女二人の声が背中越しに聞こえてくる。何となく嫌な予感がしつつも、無視する事もできない。俺はそうっと肩ごしに振り返りながら、「どうぞ……」と答えた。

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