第30話

「はい、お迎えご苦労様です。今日はハサミの使い方を教えましたけど、麻衣はハサミを持つとどうも性格が変わるタイプみたいなんで、その辺はうちでしっかりと指導してもらって……」

「あのさ、伊達さん。いくら自分が次期オリンピック候補選手だからって、二歳の子供にまで同じ練習メニューを強いるのは無理があるって。異能力があっても、体は普通の人間とほぼ変わんねえんだから、その辺ちゃんと考えてくんねえと。今日の午後の様子、これにしっかり書いといたからよく読んどいてくれよ?」

「ああ、生方さん。比奈子の奴、今日はミルクばっか飲んで、離乳食残しまくりで……。ばあちゃんの献立メニュー表貸すから、ちょっと参考にしてみてよ」


 綾ヶ瀬村をオレンジ色の夕日が覆っていく午後五時半を回った頃になって、やっと最後の子供が親に連れられて帰って行った。託児連絡ノートに詳細は書いてるものの、帰り際に何か一言その日にあった出来事を親に話して聞かせるのも家業主の務めの一つだとか言われたが、最後の親子が視界から見えなくなった途端、どっと疲れがこみ上げてきて、俺は玄関先に座り込んだ。


 やべえ、何だこれ。すっげえ疲れた。マジで半端なく、超疲れた。


 世の中にいる全ての保育士さんを心から尊敬するし、千年もの間、こんな家業を絶やさずに続けてきた91代の綾ヶ瀬家先祖を憎らしく思うし、ばあちゃんと親父にほとほと感心する。「どちらとも呼べる子供」の面倒を見るのが、こんなに大変だなんて思いもしなかった。完全に想像を遥かに超えた、斜め上の案件だ。


 異能力を持っていない分、普通の人間の子供の世話をする方がたぶん楽なんじゃないかって思える。少なくとも首を無限に伸ばしたり、癇癪泣きを起こして翼を生やしたり、物静かでおとなしい奴かと思えばハサミを持っただけで両目を血走らせて暴れ回ったり、鬼ごっこだと言って目にも留まらないスピードで延々走り回ったりはしねえだろうから。


 こんな毎日が、夏休みが終わる九月までずっと続くのか? そりゃあ、一応自分から言い出した事だけど、初日でこの疲労度だぞ。これがあと二ヵ月以上も続くってのか!?


 何で綾ヶ瀬家は、代々一人しか子供が生まれてこねえんだよ。おまけに「あやかし専用託児所」の秘密を守る為に、家業はその一子のみでやらなきゃいけない掟になってるし。綾ヶ瀬公麿様よぉ、あんたが生きた時代に労働基準法なんてものはなかったかもしんねえけど、過労死くらいはあったんじゃねえの? それとも上司に当たる安倍晴明様ってのは、部下を心底思いやれる超絶ホワイトな上司だったんですかねえ?


 千年前に生きていた奴からの返事なんて来る訳ないってのは重々承知してるけど、そんな恨み言を思わずにはいられない。俺は疲れ切った身体を引きずるように、もう誰もいない和室へと戻って行った。

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