第24話

ひとまず夏休みの間だけといっても、先祖代々からの大事な家業をやるんだ。これくらいはしっかり頭に叩き込んでおけ。


 親父にそう言われて、綾ヶ瀬家の古文書をいくつか読んでみた。ばあちゃんや親父がやっていた仕事は時々見ていたから、大まかな流れは一応分かっていたつもりだったけど、改めて知るとなると本当にげんなりした。こんな事なら、古文の成績もっと手を抜いておけばよかった。公麿直筆の文書がすらすら読めちまうんだから。


 とりあえず、ざっとした「どちらとも呼べる子供」の特徴は、こんな感じだ。


 先祖に当たるあやかしの知名度や能力の大きさによって個体差が出てきちまうもんらしいが、それでもほとんどの子供は肉体をろくに変化させる事ができず、見た目は人間と変わらない。なのに、大体六歳頃までは自身の持つあやかしの異能力をうまく使いこなせず、ふとしたきっかけで思いもよらない形で発揮し、何かしらの被害を被らせる事も少なくないらしい。綾ヶ瀬公麿が設けた「あやかし専用託児所」はそんな六歳以下の子供を親から預かり、普通の教養と共に異能力の扱い方を教える場として千年間維持されてきた。


 俺の記憶と、古文書に記されている託児所の仕事の流れを合わせると、まあ手順は以下の通り。


 まずは人間の保育園や幼稚園と同じように、午前九時までに親が子供をうちへと預けにやってくる。中には朝から元気いっぱいの子供もいるけど、大半の奴らが夜行性だったあやかしの血を引いてるもんだから、まだ眠いだの、おうちにいたいだのと駄々をこねてぐずりやがる。だから午前中は特に何かを教えるような事はせず、昼食の時間までのびのびと過ごさせてやるのが正解だ。


 どっちかというと、昼食を済ませた午後が「あやかし専用託児所」の本領発揮といったところか。


 前にも言ったけど、「どちらとも呼べる子供」は六歳頃まで自分の異能力をうまく使いこなせない。だけど、人間の世界では普通、六歳になった子供は次の年には小学校に入学して義務教育をスタートさせるだろ? これは「どちらとも呼べる子供」も人間の世界に戸籍を置いている以上、決して例外じゃない。


 もし、これからも人間の世界に溶け込んで生活していきたいという希望があるのなら、異能力の完璧な扱いは絶対不可欠。その為の訓練所であり、そんな異能力を活用して、将来どのような職に就くべきなのかといった相談も受け付ける職業安定所と言い換えても差し支えないのが、うちの託児所って訳だ。


 もちろん、全ての「どちらとも呼べる子供」が無事にここを卒業できた訳じゃない。


 数こそ少ないが、中にはうまく異能力を制御できないままに六歳を迎えた子供もいる。そんな不安定な状況を抱えたまま、とても人間の世界で生きる事はできないとあきらめ、新しい世界に引っ越していった奴も。


 でも、少なくともばあちゃんと親父は、そんな子供を一人も出していない。毎年、何人もの子供が無事に自分の異能力の扱いを覚えて旅立った。古文書と一緒に重ねてしまわれてあった成長記録ノートも見たが、二人みたいにうまくやっていけるか余計不安になっただけだった。

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