第21話

俺の部屋にクーラーなんて贅沢な物はないから、机の側に置きっぱなしにしていた扇風機のスイッチを入れた。風量を最大にして注がれてくる人工的な風に吹かれながら啜るカップラーメンは本当に美味く感じられる。


 そんな至福に酔いしれながらスープを何口か飲んでいた時、どういう訳かふいに今日一日の事を思い出しちまった。


 親父の怪我に責任を感じていた須賀さんの事。自分の娘の将来を気に病んで悩んでいた双奈の事。つらい事があったのに、相変わらず感謝と優しい気持ちを忘れてなかった平さんの事。好き勝手な事を言いまくってくるジジイの事。そして、俺自身の事……。


 正直、今だって家業を継ぎたくないという気持ちは変わらない。あやかしの末裔である皆に恨みつらみなんてものは全くないけど、ばあちゃんが強いられてきた大変さの数々を見てきた。それを知った上で、今度は俺が後を継げだなんて冗談じゃない。風車の痣を持ってるからって、そんなの知った事か。こんなもん、好きで引き継いだ訳じゃないのに。


 中学生の頃は、どうにかして消えやしないかと風呂の度に念入りに洗った。事情を知らないクラスメイトに見られるのも嫌で、毎日包帯や皮手袋を右手だけにはめていったら、何故か「封じられし混沌の右手」とか中二病っぽい言葉を言われる機会だけが増えた。


 高校生になってから百均のファンデーションで隠すという術を覚えて、そのまま大学に進んだ。代理とはいえ、親父はそれなりにうまく家業をこなしていたから、このまま俺はもう何もしなくていいと思った。就職さえしてしまえば、綾ヶ瀬家の家業に思い悩む事もなく、自分の人生を謳歌できるもんだと。


 職種は何でもよかった。俺にできる仕事であれば、本当に何でも。仕事なんて所詮は生きる手段なんだし、仮に自分の好きな事を仕事に活かしたところで、どうせ大なり小なり嫌な出来事は起きるし、ストレスだってたまる。だったら、最初から大した思い入れのない所に、どこでもいいから入ってしまえば。


 ……でも、あれ? そうなってくると、何だろう? 俺にできる事って。どこかの会社に入る事ができたとして、そこで俺にできる事って何があるんだ?


 何だか急に頭の中がグルグルとし始めてきて、せっかくのしょうゆラーメンを食う手が止まってしまった。


 何でだ? 今頃になって、こんな事で悩むなんて。もうとっくに決めていた事なのに、どうして急に……。


 ものすごく自分が中途半端な野郎に思えてきた。須賀さんや双奈や平さんに比べたら、何だか足元がおぼつかなくて、ふわふわ宙に浮いちまってるような感じ。あやかしでもないのに、こんな気分になるなんてどうしてだよ。


 そんな事を考えていたら、机の上に置きっぱなしにしていたスマホが急に震えた。反射的に液晶画面を見てみると、LINEのアプリアイコンに通知の赤い丸印が付いていて、すぐに開いてみれば、岸間からのメッセージが表示されていた。


『朗報』

『俺、探偵社への就職が決まった』

『しかもそこの社長、超美人!』

『お前もあきらめずに頑張れ』


 先を越された。岸間からの喜び溢れるメッセージを見た俺は、『おめでとう』の五文字だけを返信すると、食いかけのカップラーメンを机の上に放置してベッドにダイブした。


 うつぶせに寝っ転がって、また皆の事を思い出す。あやかしの血を引いているのに、それでもしっかりと生きている皆が何だかうらやましかった。

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