第17話

「……だいぶ前に結婚したって話は母さんから聞いてたけど、まさか双奈が母親になるなんて想像もしなかったなぁ」

双葉ふたばっていうの。私に似てるんだから、きっといい女になるわ」


 少し経って、ようやく落ち着いた双葉は俺の隣に腰かけて同じように夜の星を見上げた。


 最初こそ、初めて会う綾ヶ瀬家の人間に興奮でもしたのか、双奈の娘――双葉は、きゃあきゃあと金切り声を立てながら俺の周りをうろちょろとしていたけど、すぐにそれにも飽きてしまって、今は母親の腕の中で静かな寝息を立てている。そんな我が子の頭を優しく撫でながら「今年で三歳になるの」と、双奈が言った。


「つい昨日生まれたばかりと思っていたのに、もうこんなに大きくなっちゃった。旦那にも双葉の成長を見てもらいたかったな……」

「……確か、交通事故だったっけ? 旦那さんが亡くなったのって」

「うん」


 俺が尋ねると、双奈は小さく頷く。出しっぱなしにしていた後頭部のもう一つの口が、きゅうっとつらそうに震えていた。


 陰陽師との和解後、安倍晴明が作った新しい世界へと引っ越さず、日和が作った隠し村――今の綾ヶ瀬村にも移り住まなかった一部のあやかし達は、時の帝の追及を逃れる為に、自らの姿を人間そっくりに擬態した上で、人間の中に紛れ込んで暮らすようになった。


 人間達と一緒に暮らすのなら、各々の異能力を生活の中で役立つように活用していくといい。綾ヶ瀬公麿からそのような助言を受けたあやかし達は、苦労に苦労を重ねていった結果、やがて公麿に言われた通りに生きていく事ができるようになった。中には理解のある人間と出会って恋に落ち、子孫を残したあやかしもいる。双奈はそんなあやかし達の一体、二口女の血を引く末裔だった。


 二口女は日本ではかなりメジャーな部類に入るだろう。食欲旺盛なあやかしで、人間達の食糧を貪り食って飢饉の一端を担ったなんて説もあったくらいだったけど、あながち間違いでもないらしく、味覚が非常に敏感だ。その特性を活かして、二口女の一族は代々調理師やパティシエなどに就いている。双奈も妊娠直前に、クッキングコーディネーターの資格を取ったと言っていた。


「旦那、すっごく褒めてくれたよ。私の正体を知った上で結婚してくれたばかりか、子供ができたって言った時も手放しで喜んでくれてさ。こんないい人の嫁になれて、本当に幸せだなって思ってたのに……」

「シングルマザーって大変なんだろ? 生活、ちゃんとできてんのかよ?」

「その辺はまあ何とか大丈夫なんだけど、そろそろこの子の身の振り方を相談しようと思って来たんだよ。でもまさか、健吾さんが寝込んでるなんてね」


 双奈がそんな事を言うもんだから、思わず双葉の方をじっと見てしまう。ぐっすりと眠り込んでいて気が緩んでいるせいなのか、双葉の小さな頭の後ろからかわいらしいサイズのもう一つの口がちょこっと出てしまっていた。


「口の閉じ方、まだ教えてないのか?」

「何度も言い聞かせてるんだけど、ちょっとした事で出てきちゃうみたい。だから、今はまだ帽子が手放せないし、安心して保育園にも預けられない」

「……」

「ねえ、優太。あんたさ」

「それ以上は言うなよ?」


 双奈が何を言おうとしているのか何となく察してしまって、俺は口早に言葉を被せた。

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