第16話

山奥にある辺鄙な村って言うのは、本当に不便だ。


 水道こそ通ってはいるものの、事情を何も知らない人間を極力村の中に入れないようにする為に、ガスは通していないし電気は自家発電に頼っている。だから、ただでさえ日が落ちやすい山の中だっていうのに、そこかしこの家の電気の点きが遅い。しかも大半がかまどを使って食事の準備をしているから、いくら平さんがいい感じに家を建て直してくれたところで、台所の小窓から出てくる煙は何だか間抜けっぽく見えて嫌だった。


 そんなものよりいい景色を見ようと、俺は駅と須賀さんの畑の近くにある丘に向かった。まあ、丘っていっても平さんが動かした土を適当にまとめて小高く積んだだけのものだから、そう呼ぶにも怪しいところはあるけど、大人一人が寝転がるには充分だ。


 その丘に辿り着くと、俺は早々にその場に寝転がり、すぐに上を見上げる。うん、やっぱりだ。想像していた通り、大学のある町では到底望めないきれいな夜空が広がっていた。


 さっき、ばあちゃんはろくにこの村から出る事ができなかったと言ったけど、この丘なら話は別だ。保育園の頃は、よくばあちゃんと一緒にこの丘に登って夜空を眺めた。星座なんてよく分からないけど、夜空の中できらきらと輝く星々を見た俺が「きれいだね」と言うと、ばあちゃんも両目を細めながら「ああ、きれいだねえ」と返してくれたっけ。


「こんなきれいな星空を、皆で楽しめる世の中になったらもっと嬉しいねえ」


 ……あ、余計な事を思い出した。皆の世話でくたくたになっているばあちゃんを労いたくて丘に連れていったのに、結局はそう言って皆の事を考えちまう人だった。だからこそ、通夜の時にあんなにたくさんの人が集まっていっぱいの感謝を……。


 いや、ダメだ。一瞬の感傷に惑わされて、変な事を考えるな。綾ヶ瀬家の家業は親父の代で店じまいだ。そもそも、こんな家業なんかなくったって、皆どうにかやっていけてるだろう。千年前ならいざ知らず、今はいろんな事が可能になってきた時代なんだ。別に無理して引き継がなくったって……。


 そう思ってた時だった。


「ねえ! もしかして、そこにいるのって優太? やだ、超久しぶりじゃ~ん!」


 丘の下の方から聞き覚えのある懐かしい声がして、思わずがばりと跳ね起きる。そのまま視線を下に向けてみれば、駅までの通り道となっているそこに二つの人影があった。一つは小さな子供のもので、もう一つはそんな子供の手を引く大人の女のもの。俺は、その長い髪の女の方に見覚えがあった。


「……あんた、もしかして双奈ふたなか?」

「そうだよぉ! あんたの初めての相手になってあげた双奈よぉ!」


 そう言うと女――双奈は子供を抱えて、大股で丘を登ってきた。キャミソールにミニスカート、おまけにパンプスという格好にも驚いたが、双奈のその言葉にも慌てて俺は「しーっ、しーっ!」と口元に人差し指を当てた。


「子供の前で変な事言うなよ、誤解されるだろ!」

「誤解って何よ、本当の事じゃない。何なら、もう一回してあげよっか?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべてそう言うと、双奈はくるんと首を半回転させた・・・・・・・・


 そう。普通の人間なら45度くらいまでが限界のはずが、双奈はいとも容易く180度首を回転させる。そして、俺の目の前にやってきた後頭部の髪の毛がぱっくりと割れて、中から大きなもう一つの口が出てきた。そして。


「はい、優太。双奈お姉さんからのチュウだよ~♪」

「や~め~ろ~! この色ボケ二口女ふたくちおんな~!」


 迫ってくる双奈のもう一つの唇をがっちり抑え込む俺の姿を、彼女の腕に抱かれている小さい子供がケタケタと笑いながら見ている。双奈によく似た女の子だった。

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