第8話
昔、ばあちゃんが心を込めて作ってくれたお手製のお守り袋。「この中に入っている護符が、いつでも優太を守ってくれる」って言ってくれてたっけ。
そんな事を思い出しながら、俺は次の駅に向かって遠ざかっていくオンボロ電車を背中越しに見送りながら、お守り袋を額に上にかざす。そして、小さく唱えた。
「我は綾ヶ瀬家94代目一子の優太。ここに閉ざされた結界を解き、我が地へと向かう道を開け」
二度と唱える事もないと思っていた文句は、四年ぶりだっていうのに全く噛む事もなくすんなりと口の中から出た。そしてお守り袋は、そんな俺の声にもしっかり反応してくれて、ぼんやりとした紫色の光を放ったと当時に、目の前の空間をいとも容易くぐにゃりと歪ませてくれた。
一見、うっそうとした木々しか見えなかったホームの向こうの景色は、ぐにゃぐにゃと渦巻くように歪み切った後で、子供の頃によく見たいくつかの畑へと変わった。うまく移動する事ができたなとほっと息をついたその瞬間、突然「ああ~っ!」とこっちに向かって大きな声が飛んできた。
「優太、優太じゃねえか! お前、本当に帰ってきてくれたのか!?」
反射的に顔を向けてみれば、その声の主はやっぱり須賀さんだった。どうやらトマトの収穫をしていたらしく、土まみれの作業着姿で畑のうちの一つのど真ん中に突っ立って、こっちを驚きの表情で見つめていた。
「……久しぶり、須賀さん」
誰に対しても挨拶だけはきちんとしろというのが、ばあちゃんの教えの一つだった。それに従って俺が会釈してから近付こうとしたら、須賀さんはものすごい勢いで畑から飛び出してきた。
「今回は本当にすまねえ、優太! 俺が酔っ払って調子に乗っちまったばっかりに……」
「そんな。母さんから話は聞いたけど、須賀さん一人が悪い訳じゃないだろ? 悪ノリした親父の自業自得だよ」
「そんな事ねえ! 酒が進んで、つい昔話に花を咲かせすぎちまってよ。ガキの頃みたいに、また綾ちゃんを抱えて飛んでやるって言い出したのは俺なんだ。それでフラフラした状態で飛んじまって、綾ちゃんを落っことしちまって……面目ねえ!!」
本当に申し訳なさそうに、須賀さんは何度もペコペコと頭を下げてくる。子供の頃、何度か畑でいたずらした事があって、そのたびによく叱られたっけな。あの頃と見た目はあまり変わっていないのに、何だか少し小さく見える。やっぱりこの人も人間みたいに少しずつ年を取っていくんだなと思った。
「もういいよ、須賀さん。治療費も出してくれたって聞いたし、そんなに謝らないでいいって」
「いいや、それじゃ俺の気が済まねえよ! そうだ、ここから家までまだ歩くだろ? よかったら俺に送らせてくれ!」
えっ? と聞き直す暇もなく、須賀さんは軍手をはめていた両手のこぶしを握り締めて、むんっと全身に力を籠め始めた。すると、みるみるうちに須賀さんの作業着の背中の部分が開いていき、そこから大きくて真っ黒な一対の翼がばさあっと飛び出してきた。
……うん。久しぶりに見たけど、やっぱり須賀さんの翼は艶があって、よく手入れがされているな。純粋にカッコいいとは思う。だけど。
「さあ、行こうか!」
そう言うと、須賀さんは俺の背後に回ると、そのまま羽交い絞めの要領で俺の体をしっかりと抱える。そして大きく黒い翼を羽ばたかせると、ふわあっと俺ごと宙へと一気に浮き上がった。
それまで目の前にあった須賀さんの畑が、今度はどんどん眼下に広がっていく。俺は慌てて肩越しに須賀さんを振り返った。
「い、いいって須賀さん! 自分で歩いていくから下ろしてくれよ!」
「大丈夫だ、優太。今は酔っ払ってねえし、小学生の時まで何度も運んでやっただろ?」
「そ、そんな昔の話をされても……」
「しっかし、綾ちゃんより軽いな。お前、ちゃんとメシ食ってんのか?」
「食ってるって。いいから、今すぐ下ろしてくれよ!」
「せめてこれくらいさせてくれや。でないと
何度下ろしてくれと言っても須賀さんは聞いてくれず、村の一番奥に位置している俺の実家に向かって軽やかに空を飛んでいく。俺はなす術もなく、されるがままになりながらも、子供の頃にばあちゃんから聞かされた昔話を思い出していた。
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