第62話

「こういう事だよ」


 菊池君はまたペットボトルを煽るように傾けると、残りを一気に飲み干した。私の分は、まだ三分の一も減ってないっていうのに。


「その気がなくても、見聞きしたもの全てが頭の中に流れこんできて、自動的にインプットされるって感じなんだ。それで必要な時に思い出そうとすれば、いつでも簡単に思い出せるって奴さ」

「じゃあ、この前の現代文の授業の時は……」

「学年が上がって、最初に教科書をもらった時に全部読んでたから覚えてた。数学の小テストの時も同じだよ。問題集を見たから、覚えただけ」

「……」

「な? ズルやカンニング以外の何物でもないだろ?」


 菊池君は空っぽになったペットボトルを手のひらの中でくるくると持て余すように回しながら、また自嘲めいた笑みを浮かべる。対して私は、そんな菊池君にまたいつかのような思いを抱いてしまい、うっかりそれを口に出してしまった。


「……それって、トレーニングか何かすれば身につくの?」

「は?」

「私もそうなりたい。菊池君みたいになりたい」

「あぁ?」

「だって、やっぱり菊池君がうらやましい」


 私はすがるような気持ちで、菊池君を振り返った。菊池君は何だか怒ってるように眉をしかめていたけれど、私はそれを無視してさらに言葉を続けた。


「今、納得できた。それくらいすごい記憶力を持ってるなら、どんな勉強だって本当に楽勝じゃない。それどころか、どんな仕事だって選べるし、何があったって失敗もしない。いくらでも、自分のやりたいように」


 そうだよ、いくらでも自分のやりたいように事を運べる。菊池君みたいになれたら、きっと母は喜んで笑顔を見せてくれる。父もあの人も必要以上に関わってこなくなるだろうし、もみじちゃんに対しても複雑な思いを抱かずに済む。もう、今みたいに惨めな思いをする事も……。


「やめろ、品川」


 そう思った瞬間だった。ひどく重い口調で、菊池君がそう言ったのは。


「昼間の女子みたいな奴らなら軽くあしらうけど、お前はダメだ。前にも言っただろ、そんな事考えるな」

「何で?」

「……」

「ねえ、何で!?」

「……」


 菊池君は答えない。ただ、ずっと眉をしかめた表情を私に向けてくるだけだ。それが余計に、私の中にくすぶっている汚い気持ちがさらに膨れ上がった。


「何で? いいじゃない、何がそんなに悪い事なの!? それとも何? 私に学年一位を取られるのが怖いとか!?」

「……別に、こんなズルい能力で覚えて取っただけの一位に何の執着も未練もない。そんなに一位が欲しけりゃくれてやるけど、どうせなら品川自身の力で取れよ」

「だから、それが難しいからっ……!」

「俺は、お前がうらやましいよ」


 自分の耳を疑った。今、菊池君は何て言ったんだろう……。


「品川。お前、生まれ変われるなら俺みたいになりたいって前に言ってたよな?」

「え……? う、うん……」

「俺は、今度生まれ変わったら、お前みたいになりたいよ」


 そう言った菊池君は、さっきと違ってどこか寂しそうな顔をしていた。

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