第60話

「じゃあ、38ページの上から4行目……」

「……『だけ平行移動すると2次関数y=x-9x+bのグラフとなる。この時のaならびにbの値を求めよ』だな」

「えっ!?」


 思わず開いたままの問題集のページを二度見した。この前の、現代文の森岡先生とのやり取りと全く同じだ。一言一句、全く間違う事なく菊池君はすらすらと言い当ててしまった。


「もっとやってもいいぞ。何なら、75ページの下から10行目やろうか? えっと……確か『整数は有理数に含まれる。整数でない有理数を小数で表すと、有限小数となるか、または循環する』で終わりだ」

「あ……」

「次は24ページの13行目。……『となるB地点の目の位置B'から木の先端への仰角が45度である時、木の高さを求めよ。ただし、目の高さを2メートルとし』……」

「ちょっ、待って待って!」


 こっちをまっすぐ見据えたまま、書かれてある通りの問題文をどんどん口に出していく菊池君に何だか恐怖心に近いものを感じてしまい、私はバシンと乱暴に問題集を閉じながら大声を出す。菊池君も、それからカウンターの中にいたおじいさんもそんな私によっぽどびっくりしたようで、二人分の息を飲む音が静かだった書店の中に広がっていった。


「……意外だな」


 ほんの少しの間を空けた頃だっただろうか、菊池君が肩をすくめながらそう言ってきた。


「さっきみたいに、もっと食いついてくるものとばかり思ってた。どうなってるのとか、どうしてそんな事できるのとか、昼間の女子みたいに」

「……頭の中ではそれに近い言葉がグルグルしてるんだけど、口から出てこない」

「何で?」

「分かんない」


 本当の事なんて、言えるはずなかった。ちょっと怖い、だなんて。


 でも、菊池君は安易な言葉ではぐらかそうとする私の態度で察してしまったのか、ははっ……と短い苦笑を浮かべると、ぐるりと書店の中を見回しながら、


「一日分だけ時間をもらえたら、この店の中にある本の中身、全部覚えるくらいはできるんだけど」


 なんて言ってきた。それを冗談と捉えたか、もしくは本気にしたかは分からないけど、おじいさんがカウンターの中からわずかに身を乗り出して、


「へえ、それはすごいなあ。じゃあ、ワシがくたばっちまったら、是非ここの跡取りにならないかい?」


 と、笑いだす。


 菊池君はそんなおじいさんに振り返ると、「進路に行き詰まったら、こっちからお願いに伺いますね」と、とても明るい声で答えていた。

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