第59話

古臭い造りの自動ドアをくぐり抜けると、書店特有の匂いがすんと鼻を掠めた。インクの匂いや、紙の元になっている植物の匂い。それから、装丁の際に含まれるとされている化学要素が自動ドアをすり抜けてくるわずかな日光に照らされる事で放たれるどこかノスタルジーな匂いまでしてきて、さっきまでムキになっていた自分が何だかひどく恥ずかしくなった。


 そんな私の気持ちなんて気付く様子もない菊池君は、ずいぶんと慣れた様子で店内を歩いていく。書店の奥のカウンターに座っていた店主のおじいさんが私達に気付いて、「いらっしゃい」とか細い声であいさつしてきてくれた。


「こんにちは。ちょっと問題集の棚を見させてもらっていいですか」

「ああ、はいはい。場所分かるかな?」

「大丈夫です」


 おじいさんの案内をやんわりと断った菊池君は、さらにすたすたとカウンターの前を横切ると、やがて『各問題集置き場』とぼろぼろのプレートがかかった一つの棚の前に立った。そしておもむろに右手を伸ばすと、そこから一冊の分厚い数学の問題集を適当な感じで引き抜いてきた。


「それ、去年出た奴じゃないの?」


 何となく見覚えのあったそれに私が口を出すと、菊池君は口をすぼめてヒュウッと少し下手くそな口笛を吹いた。


「さすがだな、使ってたのか?」

「ちょっとの間だけね。すぐに他の物と替えさせられちゃったから」

「替えさせられた?」

「あ、えっと……」


 余計な事を言っちゃったと思った。母に「これは大した参考にならないからやめておきなさい」とか言われて、すぐゴミに出された時の事を思い出してしまった。せっかく自分で決めて買った物だったのに。


 つい言い淀んでしまった私に、菊池君はそれ以上何も聞いてこようとせず、手に持っている問題集に目を落とす。そして、今日の新藤先生のテストの時と全く同じように、パラパラパラッと流れるような勢いでページをめくっていった。


 やっぱり、読んでいるといったスピードなんかじゃない。小学生とかがよくふざけてページを弾くように早めくりしているところを図書館で見かけた事はあるけど、それに近いような形で問題集は独特の音を奏でながら、開いて閉じていく。それが十秒と経たないうちに終わってしまうと、菊池君は私の方へとゆっくり振り返ってきた。


「……これが、俺の勉強法」

「は?」

「ここから好きなページを開いて、適当な行を言ってみて」


 ほら、と菊池君は持っていた問題集を私に突き出してくる。つい反射的に受け取ってしまったそれの中身はうろ覚えだったけど、かなりの例題やグラフ図、図形関連の問題数が何百問とあったはずで……。


「品川、早く」

「あ、うん」


 急かされて考え込む事も許されなかった私は、言われるがままに問題集のページを適当にめくり、その中で一番目に付いた行を口に出した。

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