第55話

「皆には厳しいと思うよ」


 さすがに昼食時はしっかりおなかがすくのか、この時の菊池君はしっかりと上半身を起こしていて、コンビニで買ってきたと思われる焼きそばパンを一口ゆっくりとかじる。そして、勝手に他の子の椅子や机を運んできて自分の周りを取り囲んでいる女子達に一瞥すると、何の抑揚もなく、だけど真剣な声色でそう言い放った。


「え……?」

「誰にでもできるようなもんじゃない。まあ、俺だけにしかできないって感じだから」

「え~? もう、またまた~。冗談はやめてよぉ~」


 一瞬呆気に取られたものの、冗談だと受け取ってしまった女子の一人がケラケラと笑いながら菊池君の言葉をあしらう。そんな彼女の手にあるのは、少し大きめのポテチ袋が一つだけ。もしかして、あれがお昼ごはんだったりするんだろうか。


「冗談じゃないよ」


 また、もうひと口焼きそばパンを齧ってから、菊池君が答えた。


「そりゃあ、小さい頃は誰にでもできると思ってたけど、実際そうじゃないんだなって分かった時は、それなりに大変だったし」

「え~何で? すごいじゃん、超便利で!」


 何だか、菊池君の様子がおかしいように見えた。顔を落として女子達を見ないようにしているし、死角となっている机の下で右足首から先を小刻みにトントントンッと動かしている。……もしかして、イラついてる?


 でも、そんな事など全く気付いていない女子の一人は、いつもより饒舌になっている菊池君がおしゃべりに付き合ってくれてると勘違いしてるんだろう。とんでもなく遠慮のない口調で、こんな事を言ってしまっていた。


「だってさ、何でもかんでも覚えられるんなら、もう怖いものなしじゃん? テストでも何でもござれって感じだろうし、その気になれば新藤くらい嫌な奴の個人情報とかパパッと覚えて、いろいろ……」


 ちょっと、何それ。さすがにそういうの、冗談じゃ済まないでしょ?


 変なテンションが上がって、きっと自分で何を口走ってるのか分かってないんだ。言っていい冗談とそうじゃない冗談の境界線がほぼ決壊している。


 さすがに止めないと。そう思って、「ちょっと……」と声をあげる。けど、それより一瞬早く菊池君が少しだけ大きな声を出した。


「そんな事やったら、おもしろいと思うのか?」

「え……」

「本当にきついんだぞ、忘れられないんだから・・・・・・・・・・

「ちょっ……マジレスとか、何よ。気持ち悪いんだけど」


 菊池君の言い回しに何かしら不穏なものを感じたのか、女子達は新藤先生と同じように気圧されたようで、そのままそそくさと彼の席から逃げるように離れていった。


 女子達が充分に距離を取って離れていくのを見送ると、菊池君ははあっと大きなため息をついた後で、残りの焼きそばパンを一気に平らげる。そして、そのままぱっと私の方を見てきて、いきなり「ごめん」と謝ってきた。


「うるさかったよな。昼メシの時間、台無しにしてごめん」

「え……ううん、別にそんな事ないっていうか。こっちもごめん、何か立ち聞きしちゃってる感じになったっていうか」

「俺も別にいいよ。名前もうろ覚えな子と話してても、なあ?」

「でも、いいの?」

「何が?」

「さっきの、あの言い方……」

「本当の事だから、いいよ」

「本当の事って」

「だから、品川にも難しいよ」

「え?」

「お前も知りたかったんだろ、俺の勉強法」

「そ、それは……」

「無理だから、お前にも」


 最後にそう言って、菊池君はゆっくりと上半身を机の上に伏せるようにして倒していき、少し潤んでいるように見えた両目を静かに閉じる。そして、そのまま五時間目が終わるまで起きる事はなかった。

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