第51話
「そうか、そういう事ね……」
「え? 何が?」
「大丈夫だよ、雫。焦ったりしてポカさえしなきゃ、今よりもっといい成績取れると思う。だから、大丈夫」
まさか数日前の会話を聞かれていたなんて知りもしない雫は、ひたすら「大丈夫」を繰り返している私を不思議そうに眺めている。そんな私は私で、ほんのちょっとだけ心の中のもやが晴れたような気がした。
いくらスポーツ特待生クラスとはいっても、やっぱりそれなりに勉強だって大切なはずで、きっと雫も私と似たような事で悩んでたんだ。まあ、彼女の場合、私みたいな真似をして誰かを出し抜こうなんて考えはこれっぽっちも出てこないろうけど。
「そ、そう? まあ、ありがと……?」
戸惑うようにお礼を言う雫の首がだんだん横に傾いでいくのと、私の目の奥が家を出た時よりさらにずんと重くなったのはほとんど一緒で。いよいよまずいなと思ってたら、雫もそれに気が付いたみたいで「青葉? 大丈夫?」と尋ねられてしまった。
「どうしたの? よく見たら、目元が少し腫れちゃってるよ?」
「うん。まあ、ちょっとした寝不足」
「もしかして、遅くまで勉強してた?」
「そんなところかな。顔、洗ってくる。部活棟の洗い場って、あっちだったっけ?」
そういえば、と思い出しながら、私は部活棟のある方へと顔を向ける。何メートルか離れた所に、うっすらと見えた洗い場には、雫と同じように朝練を終わらせたらしい何人かの男子生徒達がじゃぶじゃぶと気持ちよさげな音を立てて顔や手を洗っていた。
そこに混ぜてもらおうと二、三歩歩き出したら、それを雫の伸びてきた手に止められた。久しぶりに私の手首をつかんできた雫のその手は、髪と同じようにしっとりと濡れている。朝練とはいえ、よほどしっかり走り込んだんだろうなと思った。
「今、流し場はバスケ部が占領してるから、もう予鈴が鳴るまで解放されないよ」
雫が言った。反対側の空いている手には、よくコンビニなどで見かける冷却シートの包み袋が握られている。雫はそれを何の惜しみもなく私に差し出してきた。
「よかったら、これ使って?」
「え、いいの……?」
「安物だけど、目を冷やすならちょうどいいかなって」
「……」
「私、今でも青葉に陸上部に戻ってほしいとは思ってるけど、今の青葉が頑張ってる事もしっかり応援したいから。あ、でもあんまり無理しちゃダメだよ?」
はい、と、なかなか受け取ろうとしない私の手に、雫は冷却シートを押し付ける。そして自分の事は棚に上げて、私の心配をし始めた。本当、変な子。
私は唇だけを動かして笑みを浮かべるだけに留めると、雫に向かって「ありがとう」と告げた。
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