第48話
「もっとよく考えるんだ、青葉。本当は塾なんかより、もっと行きたい場所があるだろ?」
父が私の左手を掴んでくる。ほんの十数年前まで、この手は私だけを抱っこしたり肩車してくれたり、今みたいに手を繋いで一緒に歩いてくれてたりしてたのに。でも、今のこの手はもみじちゃんの為にそうしているんだ――。
そう思ったら、急にもみじちゃんに申し訳ないのと、これ以上幸せだった頃の記憶に苛まれるのがつらい気持ちがないまぜになるのが嫌になり、私は急いで父の手を振り払った。
「簡単に言わないでよ」
私ははっきりと言ってやった。
「行きたい場所、やりたい事なんてたくさんあるよ。でも、今はそういう訳にはいかないの。その責任の一端を担いでる事、まさか忘れてるんじゃないよね!?」
「忘れてなんかない。だから、あいつとも何度も相談して、青葉をうちに迎え入れる準備だって……」
「じゃあ、お母さんは? そんな事して、トドメを刺されたお母さんはどうすればいいって?」
「その事は大人同士で決める。青葉が心配するような事じゃ……」
「心配してるんじゃなくて、迷惑だからやめてほしいって宣言してるの」
そんな事されたら、また母は壊れる。子供の頃、いつも見ていたあの笑顔からまた遠ざかっていってしまう。父にはもう分からないかもしれないが、母の言う事を忠実にこなして、その通りの結果に辿り着く事こそが、今の私にできる唯一の方法なのだ。
「あんなに頑張ってた陸上に、もう未練はないっていうのか……?」
ああ、それなのに。どうして私の父は、こうやって私の心をかき乱すのがこんなにうまいんだろう。どうしてあの時と同じように私の心にさざ波を立て、やがて大きな渦を巻く荒波にまでなるほど、私を怒らすのがうまいんだろう。
「……ないって言ったら、大嘘になる」
でも、と言いながら、私は父を振り返る。父は、振り払われた自分の手を痛そうに胸元へ引き寄せていた。
「もう平気だから。私の代わりに頑張ってくれてる子もいるし」
「中学の時、一緒に陸上部にいた子か? ええと、確か名前は……」
「それじゃあ」
「あ、青葉っ、待ってくれ。もう一度ちゃんと考えてほしいんだ。お前は、もみじの姉なんだし……」
この期に及んで、まだもみじちゃんを盾に迫ろうとするなんて。本当、呆れる。
「私、別にあの頃、妹が欲しいってねだった事なかったでしょ?」
今度こそ振り返りもせず、そう言った。こんなひどい事言われて父がどんな顔をしてたかなんて、分かるはずもなかった。
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