第46話

そして。


「もみじの、家庭教師をやってくれないか?」


 そう言って、深々と頭を下げてきた。


 ずいぶんと矛盾した人だなと思った。母の私への日々の態度をそっちの夫婦共々よくない事だときっぱり言い切るくせに、自分達の子供の事となるとそんなにも必死になるなんて。その必死さを、どうして私や母に向けてくれなかったのかもまた不思議だった。


「……いや、それは無理でしょ」


 ストロベリーパフェを食べるのをやめて、私は頭を下げたままの父を見つめ返す。昔より、髪が少なくなったように見えた。


「お父さんとの面会だってしぶしぶ許してるようなのに、もみじちゃんの家庭教師やってくるなんて言ったら、お母さん爆発しちゃうよ。それこそ、そっちの家に乗り込んでいくと思うんだけど。また修羅場したいの?」

「そ、それは、青葉が黙っててくれれば、後はこっちで何とか……」

「それに、時間的にも無理。塾にも通ってるんだから、そんな時間取れる訳ないでしょ?」

「塾……また、数を増やされたのか?」

「最近は一つに絞ってくれてるけど、それでも週に四回は通ってるかな。開成予備校って実積率高いし、お母さんが一番納得してるところだから」

「……一日くらいサボれないか?」

「しつこいな。そんなにお受験が大事?」


 私は、ついこの間偶然会ったばかりの……いや、おそらく偶然を装われて会う事になったもみじちゃんの顔を思い出した。


 近くのスーパーで値引き祭りをしていたから、などと分かりやすい言い訳をしながらもみじちゃんと一緒に現れたあの人。自転車の前かごに入っていたレジ袋には中身はほとんど入っていなかった。そんな嘘なんて欠片も疑っていない純粋で小さな二つの瞳が、ものすごく嬉しそうに私を捉えていたっけ。


 分かってる。あの子に、もみじちゃんには何の非もない。母だって、きっと頭の中ではそんな事なんて百も承知しているはず。ただ、時には理性より感情の方に大きく突き動かされてしまうのが人間のさがだし、そうならざるを得なくなった母にはほんの少しだけど同情できる。だから私も、あの人を好きになれずに済んでるんだから。


「あの人の方針なんだ?」


 私がそう言うと、父は慌てたようにぱっと顔を上げてくる。その顔は、名探偵に全ての犯行を言い当てられた犯罪者みたいな色が濃く出ていた。


「それもそうか。お父さん、私の時もそんなに関心なかったもんね」

「それは違う。お父さんはお母さんと違って学に自信がないものだから、つい任せきりにしてしまってただけで」

「その反省を活かして、今度はあの人とちゃんと話し合った……とか言わないでよ? どうせ言い含められたか、論破されちゃったかのどっちかなんだろうから」


 父とあの人の学歴の差を考えれば、そんな様子をいとも簡単に想像する事ができる。どうせ最終的には「任せるよ」って言ったに決まってるのに。

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