第43話

「……先生への質問は、ちゃんと為になったの?」


 午後七時ぴったりの、夕食の時間。炊きたてのごはんをひと口食べた瞬間に、母がそう尋ねてきた。その声はちょっと弾んだ感じに聞こえて、ああ、やっぱり何かいい事あったんだなって安心する事ができた私は、口の中のごはんを飲み込んですぐに「うん」と答える事ができた。


「数学で、ちょっとつまずいてる所があって。でも要点とコツを聞いたら、あっさり理解できちゃった。どうしてこんな簡単な所が分からなかったんだろうって、自分でも呆れるくらい」

「そうよ。青葉はやれば、ちゃんとできる子だもの。青葉がそういう子に育ってくれて、お母さんも鼻が高いわ」


 そう言って、母はとても嬉しそうに笑う。よかった。これならしばらくは、あの蛇のようにまとわりつかれるあの感覚を味わわずに済む。そう思ったら、今朝の菊池君への仕打ちは本当に間違っていたものだったと改めて思い知る事ができた。


 本当、どうかしてた。塾にも通わず、週五でバイトに入ってるのに、あれだけの成績を収めているからには、確かにそれなりの勉強法があるに違いないんだろうけど、だからってそれを盗み出すような行動で真似をしたところで、結局は自分の実力じゃないような気がする。下手すれば、カンニングと同じくらい軽蔑されても仕方ない行動だったんだ。それなのに、菊池君はちゃんと許してくれた。


 しっかりしろ、私。もっと私なりに頑張れ、私。下手な小細工なんかなしにして、これからは堂々とした実力で学年一位を勝ち取ればいい。そうすればきっと、目の前にいる母は今以上に喜んでくれる。昔みたいに、もっと長い時間嬉しそうに笑ってくれるはずだ。


 もう二人だけの家族なんだから、これからもっと頑張って……そう思っていた時だった。


「うふふ……。それに比べて、あの女の子供ときたら」


 今の今まで嬉しそうに笑っていた母が、ほんの一瞬でくつくつと下卑た笑みに変わっていた。たったそれだけで私の背中はぞくりと冷え、せっかく当分味わわずに済むだろうと思っていたあの感覚が這うように迫ってくるのを感じていく。


「ど、どうかしたの……?」


 やめとけばいいのに、こっちを見てくる母の目が「ねえ、聞いてちょうだいよ?」と、ねっとり訴えてくる。だから、聞きたくないのに聞かざるを得なかった。


 母は、さっきまでよりもっと嬉しそうに声を張り上げながら言ってきた。


「今日の昼休みにね。今月分の養育費を振り込んできたあのろくでなしが、電話で私に愚痴ってきたのよ~。あの女の子供に小学校のお受験をさせたいから、今のうちにいろいろ準備してるらしいんだけど、ちっとも成果が出ないんですってぇ。あんな下品な両親の血を引いてるんだから、当然よねぇ? ああ、可哀想可哀想!」


 本当に可哀想だなんて思ってない。本当はざまあみろって言いたいんだろう。その証拠に、母の声はどんどん明るく弾んでいく。


 ご機嫌になっていく母に私は何の返事もできず、目の前の食事を消化させる事に専念する。そのせいか、せっかく手の込んだ料理だったというのに、あまり味が分からなかった。

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