第41話
「……あの人は一番の常連で、いつもああいう注文するんだよ。俺が一つでも言い間違えたり抜かったりしたら、半額サービスにするっていう遊びをマスターとしてるんだ。だから、心配しなくていい」
今の時間はまだ忙しくないし、友達が来てるなら話し相手になってやれと言う店長さんの言葉に従った菊池君が、二人分の杏仁豆腐を持って私の座るテーブル席へとやってきた。マンゴーソースがたっぷりかかった杏仁豆腐は、オレンジと純白の二層がとてもきれいに重なっていて、食べるのがもったいないと思うくらいだった。
「半額サービスって……それって、だいぶ責任重大なんじゃない?」
私は、奥のテーブル席をちらりと見る。大盛りのチャーシューメンに半チャーハン、そしてかなり分厚い餃子やビールを、半ばヤケクソ気味に口へと掻き込んでいるサラリーマンの姿があった。
「心配しなくていいって」
そう言いながら、菊池君が私の正面の席に座った。
「もう半年近くやってるけど、一度も負けた事ないから」
「半年近くって……そんな前から、ここで働いてるの?」
「まあな」
ほら、と、菊池君が私の分の杏仁豆腐とスプーンを差し出してくる。お金は出すって言ったのに、菊池君は「俺がここにいるから入ってきちゃっただけなんだし、それで払わせるのは悪いから」と、二人分の料金を自分の財布から出してくれた。
「あ、ありがとう……」
「遠慮せずに食えよ。マスターの杏仁豆腐は絶品だから」
菊池君のその言葉に、カウンターの中の店長が「他にももっとオススメあるだろうが~?」と目が笑ってない笑みをこっちに向けてくる。でも、それを完全無視して、菊池君は私の方を向き続けていた。
「でも、驚いた。まさか品川の通ってる塾がこの近くだったなんて」
「え?」
私が杏仁豆腐をひと口頬張ったタイミングで菊池君がそんな事を言ってきたから、せっかく舌の上でとろりと溶けるように広がっていったマンゴーソースと杏仁の柔らかな感触を楽しむのを一瞬忘れてしまった。それで呆けた顔をしてしまったせいか、菊池君は菊池君で不思議そうな顔を見せてきた。
「違うのか? この辺だと、ささき児童学習塾とか三船ゼミナールが近いだろ?」
「あ……」
「私が通ってるのは、隣町にある開成予備校なの」といった無難で模範的な答えがあったはずなのに、きっと口の中に甘く広がった杏仁豆腐の味のせいだ。私は嘘をつく事も隠し事をする事も思い付かないまま、バカ正直に答えてしまった。
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