第39話
「嘘、何で……」
私は学生カバンと紙片を持ったまま、数メートルほど駆けた所であたりを見渡した。ささき児童学習塾と三船ゼミナールにはまだ少し距離があるし、見渡した先にあったのは古い帽子屋さんと最近できたと思われるチェーンのラーメン屋さん。そのラーメン屋さんの入り口から、ほんのわずかに醤油の香ばしい匂いが漂っていた。
「あ~、うまかった~」
「塾の前に腹ごしらえしとかないと、きっついもんなぁ」
「次もここに来ようぜ」
その入り口ががらりと開けられ、ささき児童学習塾か三船ゼミナールのどっちかに通っていると思われる中学生達が出てくる。その子達の声につられて、ついそっちの方に目が向いてしまった私の視界の先に見えたのは、信じられない光景だった。
「……ありがとうございましたっ、またどうぞ~!」
ラーメン屋の入り口からほんの少し奥まった所にあるカウンター。そこの左端に厨房と繋がっている吹き抜けの通路があり、そこからバタバタと急ぎ足で出てきて中学生達にあいさつしてきた店員さんがいた。たった今、シフトに入った人なんだろうけど、それが菊池君でなければ私はここまでの大声を出す事なんてなかっただろう。
「ちょっ……菊池君!?」
「え? ……ああ、品川か」
どうやら入り口は自動開閉ではないらしく、中学生達が行った後も開けっ放しになっていて、私の大声はカウンターの中の菊池君にまでばっちり届いてしまっていた。お店の制服らしき黒っぽいポロシャツに同じ色の調理帽を被っていた彼は、今朝と四時間目の時とはまるで別人のように見えたけど、当の本人は特に慌てる様子もなく私の方をじいっと見ている。そして。
「よう、いらっしゃい。食券機はそこ、学生割引ボタン押し忘れるなよ?」
なんて事を淡々と言いながら、カウンターの奥へと行こうとした。
……いやいやいや、ちょっと待って? 待ってよ!
私は勢いのままにラーメン屋の入り口とそこにかかっていた暖簾をくぐり抜け、カウンターの中で食べ終わりの丼をいくつかシンクに運ぼうとしていた菊池君に向かってさらに大きな声を出した。
「菊池君、何やってるの!?」
「何って、バイトだけど?」
「バイトって……」
「ちゃんと許可を取れば、問題ないはずだろ?」
何を言ってるんだ、こいつと言わんばかりに、菊池君が肩ごしに振り返って呆れたような目で私を見てくる。確かに彼の言う通り、うちの高校はスポーツ特待生で入学してきた生徒以外、きちんとした申請書を提出すればバイトはOKという事になってるけど……。
「じ、塾は……?」
「週五でここに入ってるのに、そんなヒマある訳ないだろ。ほら、食券機そこだから」
さらりとそう言って、菊池君はシンクの蛇口を捻って丼を洗い始めた。いや、本当にちょっと待って……。
次に続ける言葉をまだ見つけていないくせに、私はさらに口を開こうとしたけれど、それを菊池君と一緒にカウンターに入っていた五十代くらいのおじさんがからからと笑いながら遮ってきた。
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