第35話
「……はい皆さん、pH試験紙は揃いましたか~? それでは一枚ずつ、順番にろ過と中和をしていった水溶液に浸して、色とpH、後は体積の変化を観察していき、それらをレポート用紙にまとめて班ごとに提出して下さ~い!」
移動先の化学教室で、大宮先生の明るくて大きな声が広がっていく。私達生徒は間延びした声で返事をすると、それぞれの班が時間をかけてろ過と中和を済ませた五種類の水溶液にpH試験紙を浸していった。
今日の授業はさほど難しくない実験の実践だったけど、重要なのはその後で提出しなくちゃいけないレポートの内容だ。実験を通して中和にともなうpHの変化と指示薬の変色、そして電離定数などについての考察をしっかりとまとめなくちゃいけない。大宮先生はいい先生なんだろうけど、レポートのチェックはそれなりに厳しいところがあったから、普段はあまり手伝おうとしない同じ班の男子も真剣な表情で水溶液とpH試験紙を交互に見つめていた。
「おい、品川。ここの所のまとめも頼む」
レポートの清書をするのが私の役目だったから、同じ班の子達が次々と渡してくるメモ書きに同時に目を走らせ、急いで仕上げていく。提出が一番遅かった班が後片付けの刑に処されるものだから、どの班も大真面目にやっていた。
「……中和に要した水溶液の体積と、そこから測定できたpHの数値。それをグラフに直すと……ねえ、こんな感じでどう?」
自分でもかなり納得のいくきれいな曲線が描かれたグラフ表。隣に座っていた男子がほうっと感嘆の息を漏らしてから、「さすが品川さんだな」とそう言ってくれた。後は実験の結果内容をあらかじめ配られていたプリントにそれぞれ書き込めば終了というところまで来た、その時。
「……え、嘘っ。やだぁ!」
そんな悲鳴じみた金切り声より、ほんの一瞬だけ早く聞こえてきたのはガシャガシャンと、何かが一斉に倒れ落ちる音。反射的に振り返ってみれば、私達の足元の床にはろ過と中和を済ませていたはずの水溶液が入っていた五つのビーカー全てが転がっていた。もちろん、その中身も。
「うわっ、マジか!?」
「嘘でしょ、もうちょっとで終わりだったのに」
「と、とにかく拭かないと!」
幸い、誰にもビーカーの中身がかかった訳じゃなかったようだけど、ビーカーと一緒に落ちたと思われるpH試験紙は全部ずぶ濡れになっていて、結果が分からなくなってしまってる。もちろん床に広がっていった水溶液も色がすっかり混ざってしまって、どれが何だったのかもう分からない。
誰が何のはずみでビーカーを落としてしまったのかなんて、この際どうでもいい。問題は今からやり直しするにはもう時間が足りないという事だ。
レポートはまだグラフの部分と、ろ過や中和の際に見られた変化の経過部分しかまともに仕上がっていない。このまま授業の時間が終わってしまえば、うちの班が一番最後で、中途半端な提出になるのは間違いなかった。
「あらあら、大丈夫?」と心配そうに駆け寄ってくる大宮先生の足音が聞こえてくる。彼女を振り返りながら、私が「大丈夫です、すみません」と言おうとしたら。
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