第33話

「全部が全部、やり直しのきく人生なんてないんだ。皆、一度きりの人生だからこそ、誰もが後悔しないように一生懸命頑張って、少しでも自分の理想に近い人生にしようって思えるんだし、間違えたりしないように悩んで決めていく。仮に間違えてもう一度やり直そうとしたところで、時間までは巻き戻せない。ましてや訳分かんねえ世界に飛ばされて誰かに成り代わった挙げ句、全てに都合がいい新しい人生を最初から全部なんて事はあり得ないし、やっちゃいけない事だろ。そんなのはただの現実逃避で、中二病ばりの妄想でしかねえんだよ」

「……」

「だから品川。お前もあり得ない事、考えるなっての」

「え?」

「さっき、生まれ変われるなら俺みたいになりたいとか言ってたけど、品川は品川だから。絶対、俺にはなれない。つーか、なってほしくない。普通にキモいし」

「なっ……!?」

「それが机の中漁ってた理由だってんなら、もう金輪際やめろよな?」


 菊池君がそう言ったと同時に、廊下の方から少しの騒がしさと何人かの足音が集まってきた。ついそっちの方に顔を向けた視界の端に映る壁時計は、八時少し前を差している。もう皆が登校してくる時間だった。


 それでも気が治まらなくて、何か二言三言くらいは言い返そうと思った。そりゃあ、最初に机の中を勝手に漁ってた私の方が圧倒的に悪いし、クラスの皆の前で吊るし上げにされても文句なんて言えない。まさしく、まな板の上の鯉状態だった訳だから、そうしなかった菊池君にそこだけは感謝すべきかもしれない。でも、それとこれとは話が別と言うか……言うに事欠いて、キモいって何!?


 クラスの誰に聞かれても構わない心境のまま、私は「あのねえ!」と声を荒げる。実際、そのタイミングで何人かが教室に入ってきてたと思うし、朝っぱらから何だろうと不思議がられてたに違いない。後で皆からどんな質問責めを受けるだろう、いや構うもんかってそれなりに覚悟を決めたから大きな声を出したっていうのに。


「ぐぉ~……」


 え? 嘘でしょ、あり得ない。だって、たった今の今まで、会話してたよね?


 私が教室に入ってくる皆の方をほんのちょっと振り向いた一瞬の隙に突っ伏したのか、菊池君はもういつも通りの体勢になっていて、のんきにいびきをかいていた。思わずその肩を掴んで強く揺すってみたけれど、もう一度「ぐぉ~……」といったいびきが返ってきただけで、起きてくれる気配は一向になかった。


「おはよう、品川さん。あれ、菊池君ももう来てたんだ?」


 学級委員の沢渡さんも教室に入ってきて、私にも分け隔てなくあいさつしてくる。急いで私も「お、おはよう、沢渡さん……」と返したが、彼女の視線はすでに机に突っ伏している菊池君に向けられていた。


「珍しく早く来てるのに、もう寝てるんだ? 無遅刻無欠席強化週間は守ってくれても、これじゃあねえ。品川さんも、そう思うでしょ?」


 こんな奴が隣の席で、勉強の邪魔でしょ? しかもこんな奴に成績負けてるなんて、悔しくて仕方ないでしょ?

 

 人当たりのいい沢渡さんがそんな事を言うはずもないのに、曲解してしまった私の脳内が彼女の声でひどい言葉を並べ立てていく。でも、それを認めてしまう自分もいて……。


 そうだよ。菊池君が妬ましくて、邪魔で、悔しくて仕方ないよ。だから、私は……。


『俺みたいになりたいとか言ってたけど、品川は品川だから』


 ふいに、何の前触れもなく、さっきの菊池君の声が私の中に響いた。まるで、沢渡さんのニセモノのの声を打ち消すかのように。


 私は、また菊池君の方を見た。彼は相変わらず野太いいびきをかいて、心地よさそうに眠っていた。

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