第29話

数日後。私は朝一番に学校に登校して、まだ誰一人来てない二年一組の教室の中に入った。


 別にこの日はどこかの授業で小テストがある訳でもなければ、気分転換を図って教室で朝イチの自習をしようなんて考え付いた訳でもない。ただ、どうしても納得いかない事があって、その裏付けみたいなものが欲しかった。


 私は自分の席ではなく、その隣にある菊池君の席に向かった。そして自分の学生カバンを足元の床に叩き落とすみたいに置くと、急いで彼の机の中を漁った。


 やっぱり、と思った。そして、こんなの絶対にあり得ないとも思った。


 菊池君の机の中は思っていた以上に整理整頓ができていたけど、逆に言えば、使っているような形跡が全然見受けられなかった。一学期の最初にもらった全科目の教科書が隙間なくぴったりと収められていたんだけど、一冊一冊の小口こぐちには手垢どころか折り目も全然付いてない事から、ほとんどめくられていない新品同様のものだって分かる。ノートに至っても同じで、適当にページを開けてみたけれど落書き一つ書き込まれていないまっさらなものだった。


 それらを菊池君の机の上にどかりと置いた後、次は床に落とした自分の学生カバンの中から一枚の紙片を取り出した。昨夜、上機嫌になっていた母が「はい、頼まれていた物よ」と言って渡してくれたその紙には、半径十キロ圏内に居を構えている学習塾の名前と、各所で一番の成績を収めている生徒の名前が記されてあった。


「青葉もついに本気になってくれたのね。そこに書いてある名前の子達を打ち負かしてやるくらいに勉強すれば、東大だって夢じゃないわ」


 きっと母は、私がライバルを求めて頼み事をしてきたんだと勘違いしてると思うが、私の動機は似て非なるもの。十五以上記された学習塾の中に、菊池君の名前を見つけたかっただけだ。


 菊池君の勉強法を知りたかった。日がな一日、ひたすら猫のように眠りこけてるくせに、テストはいつも満点で学年一位。その学力をキープし続けている秘密を、どうしても知りたかった。


 その勉強法は、きっと私もマスターできる。そして、今度は私が学年一位になるんだ。菊池君も、他の誰もを遠ざけて、学年一位になる。そして、もう二度と母に何も言われなくて済むようにするんだ――!


 そう思っていたのに、そんなふうに思いながら紙片の隅から隅まで探したっていうのに、どこにも菊池君の名前は記されていなかった。


「何で……」


 こんなの、絶対にあり得ない。また、そう思った。


 ここに記されている学習塾は、どこも優秀な講師が粒ぞろいとなっている。高レベルな大学受験を目指すこの地域の子供なら、誰もがどこかの塾に入っているはずだ。独学だけで受験しようだなんて無謀にも程がある。それなのに、菊池君は……。


「まさか、本当に自力だけで……?」


 そんな急にはとても信じられないような現実を突きつけられて、目の前がくらくらしてくる。このまま気絶してしまいたかったけど、そんな事許さないとばかりに教室のドアの方から声が聞こえてきた。


「朝っぱらから、人の席で何やってんだよ」


 大げさなくらいに全身が跳ね上がってしまって、私はすぐに返事をする事ができなかった。

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