第27話

「ダメよ、青葉」


 ピクリとも動けず、床の惨状を呆然と見てるしかない私の両肩を、母ががしりと力強く掴んできた。母の指が、爪が、ギリギリと肩へ食い込んできて痛い。それに対する文句も言えずにいると、鋭い目をこちらに向けていた母が言った。


「このままほっとくなんてしたら、私達の負けになるじゃないの」

「負けって……」

「青葉、あなたはこの私の子供なの。だから、あの女の子供なんかに負ける事は絶対に許されないの」


 あの人と、もみじちゃんの事を言ってるんだとすぐに分かった。


 一度だけ、あの人と母が町で顔を合わせたのを見た事がある。別に、母があの人をつけ回していた訳でもなく、あの人がうちを訪ねようとしていた訳でもない、全くの偶然だった。だけど母は半狂乱となって、あの人に掴みかかろうとした。


『まだ負けてないんだからね! あんな男なんてくれてやるけど、だからって負けた訳じゃないからね! 私の娘が、きっと仇を取ってくれるわ!! その時こそ、あんた達の愚かさを思い知りなさい!!』


 まだもみじちゃんが、あの人のおなかの中にいた頃の話だ。その頃からずっと、私は母の言いなり。母の復讐の為の道具に育てられようとしているし、それを拒む事すらできない。それこそが一番怖くて、気持ち悪い。


「うん、分かってる。ごめんなさい」


 こんな母の心を静める方法は、ただ謝る事。大した事もしていないのに、私一人が悪かったふうに装って、謝って、私は母の味方であるとうそぶく事だけだ。


「大丈夫。今度はきちんと勉強して、一番になるから。お母さんの言う通り、ちゃんとやるから。ね?」

「青葉……」


 何度も何度も同じ言葉を繰り返してあげると、母はようやく安心したかのように笑う。ほんの一瞬しか見せてくれない笑顔だけど、それは確かに私が小さかった頃、いつだって見せてくれた優しいものだった。


 怖い、気持ち悪い、ヘビのようにまとわりついてくる。もう嫌だ、解放してほしい。それこそ何度思ったか知れないのに、こうして母から離れられない理由はあんな笑顔を見せてくれるから。コンマ一秒も満たない時間を味わう為に、私はそれ以外のたくさんの時間を必死に耐え忍ぶ。それ以外のすべなんて知らなかったし、どんなに勉強しても分からなかった。


「塾はまだ変えなくていいんだけど、ちょっと調べたい事はあるかな」


 床に屈んで、割れてしまった大皿の破片とコロッケだった物を掻き集めながら言うと、母は「なあに? 調べ物ならお母さんに任せなさい」と、とても嬉しそうに声を弾ませた。

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