第17話

「でも、単調で少し工夫が足りないかなと思う事は多々あります。それが余計に眠気を誘うんで……」

「なあっ……!?」


 たぶん、「何だと!?」って言いたかったんだと思うけど、あまりにも菊池君がはっきりと言うものだから、逆に森岡先生の言葉が止まってしまった。確かにそれは私もちょっと思った事はあったけど、もう少しオブラートに包むという事を知らないんだろうか……。案の定、森岡先生はチョークを乱暴に教卓の上に叩き付けると、ものすごい形相で菊池君をにらみつけた。


「そうか。だったら、菊池に余裕があるというところを見せてもらおうじゃないか……教科書46ページの3行目から8行目まで暗唱してみせろ!」


 ……ん? 46ページって……。私は思わず、教科書のページをに目を向けた。


 だって、今日の授業内容に使われてたのは22ページ目で、46ページなんてまだ全然先じゃない。そんなところを暗唱しろだなんて、いくらきつい事を指摘されたからって横暴が過ぎる。菊池君を庇う訳じゃないけれど、さすがにそれはよくないと意見するつもりで私は右手を挙げようとした、その時。


「……『り、気持ちをごまかしたりするのは、自分が最も苦手とするものだ。だから、それとなく言う事だってできる。そうだというのに、彼女のあんな横顔を見てしまうと、私はそんな苦手分野をまた嫌でも発揮しなければならないから、困りものである。彼女は私を困らせる才能に長けている。いくら幼なじみといえど、どうしてそんなものを持ち合わせてしまったのか、理解に苦しむ。それさえなければ、おそらく私は世間から見れば大層な器量よしである彼女の事を、もっとす』……以上です」


 え……? これには私だけでなく、森岡先生もクラスの皆も相当驚いたはずだった。


 さっきも思ったけど、46ページはまだ授業でやってない。内容としては、ある有名な文豪が手がけた青春小説の一節が書かれているところだったんだけど、菊池君は森岡先生の言った通り、机の中から教科書を取り出す事すらせず、すらすらとつっかえる事なく暗唱できてしまった。文字通り、一言一句の間違いもなく。


「な、なっ……」


 私がそうしたように、森岡先生も急いで教科書のページをめくって内容を確認する。そして、46ページの3行目の最初の文字が菊池君が暗唱した通り、『り』から始まっていた事に気付くと、何かとんでもなく恐ろしいものでも見ているかのような目で彼を見つめていた。


「もう、いいですか?」


 半分閉じかけている両目を右手でこすりながら、菊池君が言った。


「心配しなくても、家できちんと予習復習はやってます。それでテストもきちんと受けられてますから、何も問題ないですよね……」

「う、ぐぐ……」

「授業進めて下さい。あ、黒板の右から2行目の所、漢字間違ってます」

「何!?」


 森岡先生が慌てて黒板を振り返る。確かに菊池君の言う通り、そこに書き出されていた説明文の中の漢字の一文字が間違っている。しめすへんじゃなくて、ころもへんになっていた。


 でも、あまりにも些細すぎて、私もクラスの皆も、ましてや書き出した森岡先生本人も気付かなかった。それを今の今まで寝てたくせに、ちょっと黒板見ただけで気付くなんて……。


 私は、黒板から再び隣の席に視線を向けた。あんな暗唱ができたのだから、相当先まで予習をこなしているんだろう。そう思ったら一瞬だけ妬みを忘れる事ができていたのに、当の本人は今度は堂々と机の上に突っ伏して心地よさげな寝息を立てていた。

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