第14話

……こういうのを、今時だと毒親っていうのかな。そんな事を思いながら、私はスマホでHiroの私小説『ブラザーズ』の第一章を読んでいた。


 特にここのページは、もう何度読み返した事だろう。もしかしたら、目をつぶっても暗唱できるくらいは読み込んだかもしれない。それだけ、朝のホームルームが始まる前のまどろんでしまいそうなこの時間は、私にはとても大事なものになっていた。


 家だと、いつ母に気付かれるか分からない。母にとってスマホはただの連絡ツールであって、娯楽の手段じゃない。だから、母の目の前で連絡や勉強の為の参考以外の目的でスマホを使っていたりすると、ひどい剣幕で怒鳴られる事だってある。「あんなろくでなしと同じふうになりたいの!?」は、もうテンプレだ。


 確かに、父があの人と出会ったのはスマホを使った出会い系サイトだった。それまでろくにスマホを使いこなせなかった父が、あの人との連絡を取る為にしょっちゅうスマホと向かい合っていた姿が重なるんだろう。その頃と全く同じ表情で、母は怒鳴り散らすから。


 そんな両親を思い出すのも嫌だから、私は毎日少し早めに登校して、まだクラスメイト達が少ない二年一組の教室の中、Hiroの作品を読み耽る。そして、ほんのちょっとでもHiroの強さをおすそ分けしてもらいたいと願うんだ。何もできない私とは、まるで大違いだから。


「おはよう~」

「おっす。なあ、昨日のドラマ観たか?」

「おはよっ! 朝からごめんだけど、英語のノート見せてくれない?」


 Hiroの作品に思いを馳せる朝の時間は、三十分あるかないかだ。八時をゆうに過ぎると、続々とクラスメイト達が教室に入ってくる。皆、それぞれいろんな事を口走りながら、今日も一日気持ちよく過ごそうとしている。何人かの女子からのあいさつを返しながら、もうほんの少しだけHiroを堪能しようと思った時だった。


「……はよぅ」


 私の耳にものすごく眠そうな、あくび混じりのくぐもった声が届いてくる。無視してしまえばいいのに、聞こえなかったふりすらできずにスマホから視線を持ち上げてみれば、すぐ目の前に大きく開いた口を空いている右手で隠しながらこっちに向かってくる菊池君の姿があった。


「あ、おはよ……」

「んぅ……」


 目の前にいたからって、必ずしも私にあいさつしてきたとは限らない。もしかしたら、斜め前の席にいる茂森しげもり君にだったかもしれないのに。つい反射的にあいさつを返してしまった事を後悔していたら、今度は右手で両目をゴシゴシとこすりながら菊池君は短い音をその口から漏らした。

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