第11話
……どうやら情けない事に、私は菊池君みたいに机に突っ伏して寝ちゃっていたらしい。ぼんやりと広がっていく視界の中で最初に見えたのは、机の上に広げっぱなしのまま、半分くらいしか解いていない問題集。その横で、さっきまで右手に持っていたはずのシャーペンが転がっている。そして、左手の中にはブルーライトを絶えず放つスマホが握られていた。
「やば……!」
小さくつぶやきながら、急いで伏せていた上半身を起こす。ほんのちょっとだけ。もう何回何十回と読んできたものなんだから、ちょっとの時間、骨休みに読むだけ……そう思っていたのに、気が付いたら爆睡していたなんて。
私は、自分の肩や足元にブランケットの類がないかどうか確認する。……よかった、ない。それだけで、母があれからこの部屋には入ってきていない事が分かって、心の底からほっとする事ができた。
スマホの液晶画面に表示されている時刻は、PM6:42。これもよかった、本当に助かった。
塾がない日、母はまるで判を押したかのように午後七時ぴったりに夕飯の準備を済ませる。そして、この部屋で必死に勉強しているであろう私の事を呼びに来るんだ。
たった一度だけ、その時間に勉強じゃなくてうたた寝してるところを母に見られた事がある。その時の母の形相と剣幕は、今でも思い出すのは怖い。私じゃなくて、私越しに父やあの人を敵視している母を目の前にするだけで、胸の中が苦しくなる。
そんな苦しさが限界を超えそうになった時期にたまたま見つけたのが、誰でも無料で小説やイラストを発表したり、閲覧する事ができる投稿サイトの一つだった。
このサイトは各出版社に勤める編集者達もかなり注目しているほどに良作ぞろいらしく、ここから何人もの売れっ子作家が生まれてきた。私のスマホの液晶画面に所狭しと連なっているこの文章だって、そう。今現在、このサイトで一、二の人気を誇っている覆面作家・Hiroのオリジナル小説もそれを目前としていた。
Hiroの最初の作品は、いわゆる私小説。弟が一人いるらしいけど、その弟と過ごした子供時代のエピソードをまとめた作品が非常に泣けると、投稿開始直後から大きな話題となった。その私小説が完結した後は、流行に一切乗っかる事もジャンルにこだわる事もない自由気ままなオリジナル小説を次から次へと発表していった。
Hiroは一人称が『僕』なのだから、男性である事はおそらく間違いない。でも、弟がいるという事以外はプロフィール欄に全く記載していないので、ますます謎めいた存在として目立っていき、感想を書き込めるコメント欄はいつだって読者達からの熱いエールでいっぱいだ。時には、とても堅苦しいあいさつを交えた出版社からのスカウトも書き込まれている事もある。
今のところ、Hiroがそれに反応を返す様子は見受けられないが、少なくとも私は、彼の描く作品の世界のおかげでずいぶんと心が救われている。Hiroの作品に出会えてよかったと、本当に思ってるんだ。
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