第62話

「ごちそう様でした、おいしかったです」

「また食べさせて下さい」


 そう言いながら『岡本豆腐店』を出ると、おじさんはとても満足そうな顔をしながら両手を振って見送ってくれた。今度は抹茶味やチョコ味にも挑戦するから、その時もよろしく頼むよなんて言って。


 そこまで送ってくよと言ってついてきてくれた岡本君は、おじさんと同じような格好に着替えていて、まるでミニチュア版のようだった。しかも何故か制服より似合っている。その姿が目に映るたびに、あたしはつい口元が弛んだ。


「何だよ、安藤」


 やがてその事に気付いた岡本君が、少しむくれた顔であたしを覗き込んでくる。右からあたし、美琴、岡本君の順に並ぶようにして歩いていたから、美琴の肩の上からひょこりと出てきたその顔が、また余計におかしくなった。


「だって、いくらこんな田舎町だからって、花の男子高校生がさ……」


 あたしはそっと人差し指で、岡本君の格好を指す。もしかしてちょっと怒るかなと思ったけど、岡本君は怒るどころか、ちょっと誇らしげに『岡本豆腐店』の文字が入った前掛けを摘み上げながら「結構いいもんだろ?」と言ってきた。


「僕はお父さんの後を継いで、『岡本豆腐店』の四代目になるからね。今から着てても問題ないだろ?」

「え……」


 思わず絶句した。たぶん美琴も同じくらい驚いていたと思う、ぽかんと口が開いちゃってたから。


 『岡本豆腐店』が高級旅館や三ツ星料理店御用達ならまだいいけど、過疎化が進みまくってる田舎町の商店街にある普通のお豆腐屋さんだよ? 人様の将来を偉そうに批判するつもりは全然ないけど、いくら何でもそれは……。


「そ、それでいいの?」


 美琴が心配そうに尋ねていた。


「他にやりたい事とかないの? あのおじさんなら、話せば分かってくれるんじゃない?」

「特にないよ」


 岡本君は、美琴の心配をよそにさらっと答えた。


「昔から、そうするって決めてたから。あの豆腐のアイスだって、レシピに僕の意見を少し入れてもらってるんだよ」

「へ、へえ。そうなんだ……」


 いい年した父親と高校生の息子が、日ごと豆腐を使ったアレンジメニューをあれこれ一緒に考えてるんだ。そんなちょっと奇妙な光景を想像しちゃって、思わずぶるっと震えてしまった。あたしとお父さんだったら……うん、無理だな。絶対ケンカになる。


「……それじゃあ、ここで。気を付けて帰って」


 商店街から少し離れた十字路の所まで送ってくれた岡本君が、そう言うとくるりと踵を返して歩き始めた。その背中に向かって美琴が「岡本君、ありがとう」と声をかけると、何故か岡本君はぴたりと歩みを止めて立ち止まった。どうしたんだろうと思ってみていたら、岡本君はもう一度こっちに体を向けて。


「一つ、真岡さんに言い忘れてたよ」


 と、言ってきた。


「あの顧問の先生、おだててなんかなかったよ。本気で真岡さんに期待してた」

「え……」

「だから、真岡さんと同じくらいかそれ以上に悔しがってるよ。真岡さんを代表から外さなきゃならない事」

「な、何でそんな事分かるのよ!?」


 またぽかんと口を開けてしまった美琴に変わって、あたしが疑問をぶつける。そしたら岡本君はまるで当たり前のようにこう言った。


「そう思ってるのが、すごくよく分かるから」


 おじさんが言っていた事って、こういう事なんだろうか。人の気持ちを敏感に察する事ができるって言ってたっけ。


「だから、大丈夫だ」


 岡本君が言った。とても力強い声で。あたしはまた、そんな岡本君に少し嫉妬した。

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