第57話

「ひどいです。今までさんざん『お前ならできる』『期待してるからな』とかおだててきたくせに、こんな直前になって……!」

「仕方がないだろう」


 美琴の剣幕に押され気味になっているのか、顧問の先生はさっきからずっと顔を逸らしっぱなしで口から出てくる言葉も弱々しい。それでも自分の意見を曲げるつもりは毛頭ないのか、ぎゅうっと両手のこぶしを固く握りしめていた。


「残念だけど、次の大会はあきらめてくれ真岡。何もこれが最後って訳じゃないんだから」

「嫌です! 今があたしのベストコンディションなのに……」

「ベストじゃなくなっただろ」


 その言葉に、美琴の体は一瞬で硬直した。まるで石になる呪いでもかけられたみたいにピクリとも動かなくなって、あれだけ叫んでいた唇もぽかんと開けっぱなしになっている。ただ顧問の先生を見上げている両目だけが、悔しそうに悲しそうに歪んでいった。


 これ以上盗み聞きするような真似はまずいと思ったあたしは、急いで昇降口から出ようとした。だけど、落としてしまったローファーを拾おうとして視線を少し下に提げたとたん、そのすぐ側で耳を抑えてうずくまっている岡本君の姿が視界に入った。


「お、岡本君!?」

「ぅっ……」


 岡本君はすごくつらそうに顔をしかめている。そうだ、大きな音がダメだって言ってたっけ。今は耳栓してなかったから、もしかしてあの二人の会話をうるさく感じ取っちゃったって事?


「だ、大丈夫? 保健室寄ってく?」

「い、いいよ。だい、じょうぶだか、ら……」


 岡本君の横に腰を下ろして、できるだけ小さな声で話しかけたら、岡本君は途切れ途切れに答えながら首を横に振ってきた。反応を返してくれるのはありがたかったけど、全然大丈夫そうに見えない。なのに、岡本君は。


「僕より、真岡さんの方が……」


 どうして岡本君の口から、美琴の名前が出るのか。それを不思議に思っていたら、こっちに向かって荒々しく近付いてくる足音が聞こえてきた。あ、もしかして。


「み、美琴!!」


 顔を上げるより先に、あたしは親友の名前を呼ぶ。すると、気が立っていたせいか、あたし達に気付かずに昇降口の前を通り過ぎようとした美琴が勢いよくこっちを振り返り、その次にはひゅうっと大きく息を吸い込んだ。


「智夏に、岡本君……? 何で……」

「真岡さん」


 あたしより先に、岡本君が口を開く。まだ少し気分が悪いのか、こめかみの所を抑えっぱなしになっちゃってるけど、それでも何とか立ち上がって美琴の方をじっと見つめていた。


「今から帰るなら、僕達と一緒に行こう……?」

「何よ、もしかして今の聞いてたの!?」


 美琴のいらだちが、今度はあたし達に向けられる。初めて美琴を怖いと感じてしまい、あたしが一歩後ずさってしまった時だった。


「大丈夫だから」


 さっきと同じ言葉が聞こえてきたと思ったら、岡本君の指先があたしの手を掠めるように触れた。その感覚に一瞬意識を奪われたせいで、今のはあたしに言ったのか、それとも美琴に言ったのかを判断する事ができなかった。


「よかったら、話聞くよ」

「いらない! 私の今の気持ちなんか、誰に話したって分かりっこないんだし!」

「分かるよ」


 駄々をこねる子供のように叫ぶ美琴を宥めるでも、慰めるでもない口調だった。ただ、本当にそうなのだとばかりに、岡本君は言った。


「僕には、よく分かるから」

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