第四章

第54話

あれから、岡本君とは良好な関係と呼べるような感じになってきた。


 ずいぶん反省してくれたのか、岡本君はあれほど事あるごとに口に出していた嫌味な言葉を言わなくなったし、そのおかげであたしも岡本君に突っかかるような事もない。だから、司書の先生が言っていたようなケンカみたいな感じになる事もなく、毎週水曜のカウンター当番はあたしにとってだんだん苦にならなくなってきた。


「安藤、この本の補修も頼むよ」

「うん、分かった。こっちの返却本を片付けたらやっとく。あ、脚立ってどこだったっけ?」

「一番奥の、右棚の横に立てかけてあったよ」

「ありがと、見てみる」


 それまでずっとできなかった普通の会話ってものを、岡本君と普通にできている。司書の先生が初めてそれを聞いた時はやたらびっくりしていたし、その事を美琴に話してみれば「お互いに進化できたって感じじゃん」なんて言ってからかわれた。何よそれ。







 中間テストの時期が近くなってきたせいか、最近になって図書室を利用する生徒の数が増えた。


 だからって、それと貸し出し頻度がイコールになる訳じゃない。目の前に広がっている座席が埋まっても仕事が特別増える事はなかったから、あたしも当番をしながらテスト勉強をする事はできた。だけど。


(……あ~、やっぱり分かんない~……)


 ある水曜日の放課後。あたしはカウンターの上に数学の教科書を広げて、もはや呪文にしか見えない公式の数々とにらめっこしていた。


 うん、何度見ても分からないものは分からない。将来、数学者の道に進みでもしない限り、二次関数なんて何の役にも立たないし、当然だけどあたしの未来にそんな予定は欠片もない。ファッション関連の仕事をしたいんだから、どうせなら美術か家庭科の勉強をやらせてほしいくらいだ。なのに、何でうちの高校はそのどっちも試験科目に含まれないんだろう。


 あたしより断然数学の成績がいい美琴と一緒に勉強したいけど、今頃あの子は陸上部恒例の合同勉強会をしてるだろうから、あんまり迷惑をかけられない。だからといって、田淵に質問に行くのはもっと嫌だ。何もかもが残念な見た目の田淵に至近距離で教えられたところで、頭に入るどころか全部抜けていくに決まっている。


 でもなぁ。二年生になって最初の中間で、いきなり赤点を叩き出すのも……。ああ、本当にどうしよう。


 まったく意味も定義も理解する事ができない公式だけが頭の中をぐるぐるして、気持ち悪い。それを追い出そうとして、あたしが頭をガリガリと強く掻いた時だった。


「大丈夫か、安藤?」


 隣――というより、すぐそこで岡本君の声が聞こえてきて、教科書からちょっと顔を上げてみる。すると、ついさっきまで隣の椅子で静かに本を読んでいたはずの岡本君がすぐ側まで近付いてきていて、あたしをメガネ越しにじっと見つめていた。

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