第52話

午後八時。家族全員での夕飯も終わって、今はこの時間に放送されているバラエティ番組を観ている。でも、毎週いつも楽しみにしている番組なのに、あたしの頭の中は夕方の時の事をずっと思い出していて、内容がなかなか入ってこなかった。


 あれから少しした後、あたしは岡本君ちを出た。その時、別に構わないから寝ててって言ったのに、岡本君はおじさんと一緒に店先まで出てきてあたしを見送ってくれた。


「いや、嬉しいなあ。まだ試作品なのに、うちの豆乳あんなにきれいに飲み干すくらい気に入ってもらえて。また作るから、飲みに来てくれよ?」


 おじさんの上機嫌な声と心底嬉しそうな笑顔が脳裏をよぎる。そしてその後の、岡本君の言葉も。


「……それじゃ安藤、また図書室で」


 また学校で、じゃないんだと思った。学校でじゃなくて、図書室で。それって、岡本君にとってあたしと顔を合わせるのは、図書室が自然で当たり前だって事で。そう分かった瞬間、何だかすごく恥ずかしくなってあたしは岡本君の顔を見る事ができなくなった。


「何よ、もう……」


 お父さんはまだ食卓で晩酌のビールをちびちび飲んでるし、お母さんはのろのろと食器洗いをしていたから、あたしの小さな独り言なんて聞こえていない。その事にほっとしていたら、テレビの中からきゃああっと黄色い歓声が聞こえてきた。そうだった、この瞬間が今日のバラエティ番組の目玉でそれを楽しみにしてたっていうのに。


 あたしは急いで逸れていた意識をテレビに集中させる。液晶画面の向こうでは、今週のゲストとして招かれた汐が笑みを浮かべながら登場してきたところだった。


 ああ、やっぱり汐はカッコいい。今日のコーデは、クリーム色のインナーにこげ茶色のジャケットとGパンといったカジュアル仕様か。お笑い芸人ばっかりで構成されてるような番組だからそれだけでも充分目立つけど、今度テレビに出る時はちょっとワイルド系な汐も見てみたいな。


 そんな事を思っているうちに最初のトークが終わって、その次は汐のプロフィールをあれこれ尋ねてみようという企画が始まった。


「いやね。プロフィールの点ではいろいろと謎な部分が多い汐君だけど、ここまでなら答えてもいいよっていうボーダーラインってところを視聴者も知りたい訳で。まあ、我々のただの興味本位でもありますが!」


 司会役の中堅芸人がそう言ってゲラゲラと笑ってる中、汐はちょっと困ったように頬を掻く。そして仕方なさそうに「分かりました。できる限り答えますので、思いつくままにご質問どうぞ」と答えていた。


 そのせいか、ひな壇席に座っている若手芸人達の容赦のない質問攻めが始まった。中にはまともなものも少しあったけど、大半は何ていうか下世話な質問ばかりだ。それをまた困ったように言葉を選びながら答えていく汐は健気に見えたし、「初体験はいつ?」なんて聞いてくる芸人を殴ってやりたいと思った。


「いや、それはちょっと恥ずかしいんで……NGで!」

「ええ~……!? じゃあ、これは? 嫌いな食べ物!」


 汐の初体験なんて、ちょっとプライバシーに突っ込み過ぎでしょと思ったら、数少ないまともな質問が飛び出す。でも、それに答えた汐の言葉は、あたしを急に寂しくさせた。

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