第50話

「お邪魔します」


 前に入れてもらった居間。その隣の部屋へと続く襖に寄り添うように座ったあたしは、三回くらいノックはしたものの、中からの返事を待つ事もせずに勢いよくそこを開けた。当然だけど、その部屋の主は畳の上に敷いてる布団から上半身を起こした状態でびっくりしたような顔をしていた。その両手には、分厚いアルバムのような物がある。


「え、安藤……!?」

「お邪魔します」


 もう一度そう言って、あたしは全く遠慮なしに部屋に入る。学生カバンを居間に置かせてもらったおかげで、あたしの両手は出来立ての豆乳が入ったグラスを二つ乗せたお盆をしっかり持つ事ができた。


「な、何で安藤がここに……」

「昨日の今日で早退したって聞いたから、一応お見舞い。それと、これを届けに」


 心底不思議そうに尋ねてくるパジャマ姿の岡本君にそう答えてからお盆を畳の上に置き、あたしはスカートのポケットの中に入れたままだったボールペンを引っ張り出した。


「はい」

「これって……」

「図書室のカウンターの引き出しの中に入れっぱなしだった」

「……ごめん。わざわざ持ってきてもらって何だけど、このボールペンは忘れ物じゃないよ。これは図書室用に」

「分かってるから、皆まで言わないで」


 やっぱり、そうか。あたしは岡本君に最後まで言わせず、お盆の上からグラスを一つ持ち上げる。そのまま、あまり飲んだ事のない豆乳をひと口飲んだ。


 おじさんからお盆を受け取った時は豆乳独特の嗅ぎ慣れてない匂いが一瞬鼻を掠めて、正直どうしようかと悩んだけど……あれ、思ったよりすっきり飲みやすくて、それでいておいしい。ジュースや牛乳とは違うたったひと口分の味わいが、じんわりと口の中に広がっていくような感じがした。


「ちょっとは察してほしんだけど」


 グラスから口をちょっと離してから、あたしは言った。


「そっちだって、きっかけ欲しかったんじゃないの?」


 左手にグラスを持ち替え、空いた右手をもう一回スカートのポケットの中に入れる。そしてそこから、ラッピング袋のフリルとリボンをちらりと見せてやれば、岡本君は慌てふためきながら、ぷいっと視線を外した。少し、耳のあたりが赤く見えたのは気のせいだと思いたかった。


「……持ってくるなよ、そんな物」

「何それ。よこしてきたのはそっちでしょ?」


 いつもよりずっと小声だったけど、さほど広くない部屋の中で二人だけだから嫌でも聞こえてしまうというもので。あたしがそう言ってやったら、岡本君の耳はますます赤くなったような気がした。


「そうだけど、そういうつもりじゃないっていうか。確かに安藤の言う通り、きっかけは欲しかったけど」

「……」

「改めてそれ見たら、本当に滑稽だよな。食べ物で機嫌を直してもらう魂胆なんだろって思われても仕方ないよ。でも、それくらいしか思い浮かばなかった。安藤はそんな人じゃないって分かってるのに」


 ちょっと驚いた。まさか、岡本君があたしをそういうふうに捉えているなんて。普段のあたしの言動とか見ていたら、手頃な方法でどうにかなるような単純な人間だと思ってたとしても、それこそ仕方ないでしょうが。


「……昨日はごめん」


 そんな事を思っているうちに、アルバムをそっと布団の脇に置いた岡本君が謝ってきた。

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