第47話

「あれ……?」


 思わず、図書室の中を見渡した。相変わらず、利用している生徒の数は少なくてがらんとしている。もしかして、返却された本の片付けでもしてるのかと思ったけど、いくつか並んでいる棚の間を全部見てみても、岡本君はいなかった。


 だったら、隣の司書室かな。そう思いながらあたしがカウンターの中に入るのと、その司書室へと続くドアから先生が出てきたのは同時だった。


「安藤さん、当番お疲れ様」


 先生はあたしが岡本君より早く来ている事に、何の疑問も抱いてませんって顔で話しかけてきた。その事に何だかおかしいなと思っていたら、先生の続きの言葉ですぐに納得した。


「ごめんね、今日は一人で当番頑張ってくれる? 岡本君、早退しちゃったのよ」

「……え!?」


 岡本君がここにいたら、絶対に怒っていただろうなって思えるくらいの大きな声が出てしまった。自分でもその事にちょっと驚いたくらいだし、それだけ岡本君イコール図書室って公式が出来上がっていたもんだったから、彼がここにいないなんて事自体が信じられない。だから、つい「何かあったんですか?」なんて心配するような言葉を口に出してしまった。


 あたしのそんな言葉に、今度は先生がちょっとびっくりしたみたいに両目を見開いていたけど、すぐに「大丈夫」と軽やかな声で答えた。


「ちょっとめまいを起こして倒れそうになったから、念の為に早退してもらっただけですって。ほら、去年の事もあるから」


 怪我をして、長期入院していた時期の事を言ってるんだなと思った。それまで興味を持った事もなかったから、どうして岡本君がそんな大怪我したのか、あたしはその理由も知らないんだった。


「その時も、めまいが原因で怪我をしたって事なんですか?」

「そうみたい。それで校舎の二階の階段から落ちて両足を複雑骨折したんだから、学校側としても慎重にならざるを得なかったんでしょ」


 そう言って、ほうっと先生は息を吐く。話を聞いてるだけで、何だかあたしも両足の膝あたりが痛くなってきたような気がした。思わず右膝だけをそうっとさすっていると、目の前にいる先生はすぐにあたしのそんな仕草に気付いて、もう一度「大丈夫」と言ってくれた。


「今度は怪我なんてしてないから」

「……岡本君、いつ早退したんですか? だって、あたし」


 そこまで言ってから、あたしはスカートのポケットにそっと手を添えた。


 いくら小さいと言っても、クッキーを詰め込まれたラッピング袋はそのままスカートのポケットも同じくらいに膨らませている。これと伝言を美琴に預けていたんだから、岡本君は今日も同じようにここに、図書室へ来るつもりだったはず。そして、何かしらあたしに言おうとしていたはずだった。それがものすごく気になったから、あたしは先生にそう尋ねたんだと思う。


 先生は、途中で切ったあたしの言葉にさほど気にかけた様子はなく、少し思い出すような仕草を見せた後で「確か、二時間目くらいだったかな……」と呟いた。


「詳しい事はA組の担任の先生に聞けばいいと思うけど」

「分かりました」


 あたしがそう答えると、カウンターの前に一人の生徒が現れた。一年生なのか、少し遠慮がちにもじもじしながら持っている本をカウンターの上に差し出す。


「あの、貸し出しをお願いします……」

「あ、はい。どうぞ」


 あたしは慌ててカウンターの中の椅子に座り、貸出カードを引き出しの中から取り出す。すると、そこにちょっと使い込んだ感じのボールペンが一本入れっぱなしになっていて、細長く巻きつけられた白いテープの上には器用に『岡本』なんて名前が書かれてあった。


 今年の図書委員会の中に、彼以外に『岡本』の名字の生徒はいない。もちろん、司書の先生達の中にも。


 岡本君の私物を見つけてしまった事で、また一つ彼に会う理由ができてしまったあたしは、目の前の一年生や背後で貸出カードのチェックをし始めた先生に気付かれないよう、こっそりとため息をついた。

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