第35話

それから少し経った頃だった。「安藤さん、お待ちどう様!」とはりきった声でおじさんが居間に入ってきたのは。


 豆腐をごちそうするって言ってたから、てっきりお味噌汁か麻婆豆腐あたりが出てくるかと思っていたのに、おじさんが持っているおしゃれでかわいいお皿に乗っていたのは、どこからどう見てもパンケーキ。あたしの口から思わず「へ……?」とマヌケな声が出た。


「岡本豆腐店の新メニュー、おじさん考案のオリジナル豆腐ケーキさ。まだまだ試作品で悪いんだけどさ、食べて感想聞かせてくれや」


 あたしは、豪快に腕を組んでからからと笑っているおじさんをとても信じられない思いで見つめた。


 スイーツを食べるのは好きだし、その手の紹介番組とか始まったら思わず目を奪われちゃうけど、今目の前にあるこのパンケーキはテレビに映っていたそれらと引けを取らない感じだった。見た目の焼き色といい、生クリームやフルーツの盛り付け方といい、まるでプロのパティシエが作ったみたいな完成度っていうか。少なくとも、薄汚れたタオルをバンダナ代わりにしている田舎のおじさんが作っただなんて、そうそう信じられないレベルだった。


「よかったら、食べてよ」


 驚きのあまり、ちょっと固まってしまってるあたしに苦笑しながら、岡本君が言った。


「味は保証するから」

「そ、そうなんだ。じゃあ、いただきます」


 添えられていた少し大きめのフォークとナイフを使って、ひと口分を切り分ける。そのまま生クリームやいちごと一緒に口の中に入れると、ふわっふわの食感とチーズケーキみたいに濃厚な味がいっぱいに広がった。とどのつまりは。


「おいしい!」


 頭で考えるよりずっと早く、あたしの口はそう告げていた。


「全然豆腐感がないっていうか、これなら豆腐が入ってるって言われても分かんない。それに味は濃いのにふわふわしてるから、いくらでも入るって感じです」

「そうかい? それはよかった~」


 あたしの感想に、おじさんはグッとガッツポーズをして喜ぶ。そんなおじさんを見て、岡本君は「よかったね、お父さん」と言ってから、隣の部屋に続く襖に手をかけた。


「僕は部屋で本を読んでる。安藤、今日はどうもありがとう。それじゃあ」

「え……。うん、それじゃあ」


 こっちを振り返りもせずにそう言ってきた岡本君に同じような言葉で返す。そのまま、ぴしゃりと閉まった襖の奥へ姿を隠してしまった岡本君にちょっと呆けていたら、おじさんの「ごめんな、安藤さん」という声が聞こえてきた。


「誠也君、いつもあんな調子なんだけど、まあ悪い奴じゃないんだよ。親バカなのは充分理解してるんだけどね」


 あ、それ。司書の先生も同じ事言ってたような気がする。


「年も一個上だから接し方がよく分かんない時もあると思うけど、できれば仲良くしてやってくれねえかな? 久しぶりなんだよ、誠也君が家族以外の誰かと一緒にいるのを見たのは」

「……」

「あ、よかったらお土産にこれも持って帰って。おじさん特製の豆腐クッキーだ」


 あたしが返事をする間もなく、口早にそう言いながらおじさんが差し出してきたのは、これまたかわいい柄の入った青色の小さな紙袋で。中身は、きれいな黄土色の焼き加減に仕上がっているおいしそうなクッキーだった。

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