第32話

「いや~、学校から連絡来た時は肝が冷えましたよ」


 岡本君から少し離れて、おじさんが何歩分かあたしに歩み寄ってきた。


「何せこんな事、去年以来だったもんで。しかもその時は大怪我までしたものだから、今度もそうなっちまったんじゃないかと……。本当にありがとうございます」

「いえ、そんな。大げさですよ」


 謙遜なしに、心からそう思った。だって、あたしは別に大した事してない。せいぜい保健室まで付き添っただけで、岡本君ちに連絡を入れたのは養護の先生だし。


「じゃ、あたしはこれで」


 必要以上に絡まれて、もうムダな時間を取られたくない。あたしは軽い会釈をしながらそう言って、二人にまた背中を向ける。なのに、そんなあたしの様子を全然察しようとしてくれないおじさんは「ちょっと待って!」とまた声をかけてきた。


「お礼をさせてくれないかな?」

「え?」

「誠也君の恩人をこのまま帰しちまったんじゃ、三代続いた岡本豆腐店の名が廃るってもんだ。おいしい豆腐をごちそうするから、ぜひ食べてって!」

「い、いえ。そんな……本当に大丈夫なんで」

「ちょっとお父さん。そういうのは、かえって迷惑だよ」


 思ってもみなかった展開に発展しそうな雰囲気に、あたしは全力で首を横に振る。さすがに岡本君も勘付いてくれたのか援護射撃をしてくれたものの、おじさんの勢いは二人がかりでも全く止める事はできなかった。


「まあ、そんな遠慮なさらず。うちの豆腐はマジでうまいから! さあ、行きましょう!」


 そう言うと、おじさんは岡本君の腕を掴み、空いたもう一つの手であたしの背中をぐいぐいと押す。そのまま昇降口を出て、少し歩いた先にある来客用の駐車場まで連れていかれると、そこにはずいぶんとレトロで古くさい軽トラックが停めてあった。荷台の所に書かれてあるロゴは、やっぱり『岡本豆腐店』で。


「詰めれば何とかなるかな。誠也君、我慢できるかな?」

「……十分くらいなら」

「うん、大丈夫。すぐに帰るからね」


 軽トラックのわりには少し広めに造られている座席だったけど、それでも三人乗るにはちょっと無理がある。なのに、おじさんはまるで押し込めるように岡本君を真ん中のあたりに追いやると、続いてあたしを助手席の窓側に座らせた。


「それじゃ、出発~!」


 何がそんなに嬉しいのか、おじさんは上機嫌な声を出しながら軽トラックのエンジンをかけ、ハンドルを握る。そんなに密着してしまってる訳じゃないけど、それでもこっちは少し窮屈な思いをしてるっていうのに。


 ちらりと隣を窺ってみれば、岡本君が額に少しシワを寄せたしかめっ面をしていた。カバンを抱えている腕にも、ちょっと力が入りすぎてるような感じだったし。


 何よ、いろいろと文句が言いたいのはこっちの方だっての。あたしはぐっと口元を引き結んで、古くさい軽トラックの不快な揺れに耐え続けた。

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