第31話

「……ついてこなくても、もう大丈夫だって」


 昇降口まで来たところで、岡本君が肩越しに振り返って後ろにいたあたしにそう言った。これはいわゆる、そんな事を言われてもって奴なので非常に困る。だから、めいっぱいの嫌味を込めて言ってやった。


「あたしの靴も、こっちの下駄箱にあるんですけど」

「さっきの子は、ずいぶん前に行っちゃったのに?」

「美琴は部活に戻ったの。あたしはあたしで、もう帰らせてもらいます!」


 家族が迎えに来てくれるんなら、もうあたしの出る幕じゃないっていうか、そもそも付き添う義務も義理もない。少し遅くなっちゃったけど、この時間ならまだ本屋に寄れる。後は目当ての雑誌が売り切れていない事を願うばかりだ。


 岡本君の横をすり抜けて、先に下駄箱の前に立つ。さっさと上履きからローファーに履き替えて、この場からいなくなろう。そう思った時だった。


「……お~い、誠也君~!」


 昇降口のドアの向こうから、ずいぶんと焦っているような野太い声が聞こえてきて、ぱっとそちらに顔を向けてみたら、こっちに向かって一人のおじさんが走ってくるのが見えた。


 うちのお父さんより少し年上っぽく見えるそのおじさんは、薄汚れた白いタオルをバンダナ代わりに頭に巻いている上、薄手のTシャツとくたびれたズボンにずいぶんと使い込んだ感じの紺色の前掛けを重ね、とどめにダサいゴム長靴といった格好だった。前掛けの正面には白抜きの文字ででかでかと『岡本豆腐店』なんて、どこかで見た事あるような名前が書かれてあった。


「誠也君、大丈夫だったか!?」


 おじさんは昇降口に飛び込むと、その勢いのままに岡本君の目の前まで近付き、肩をがしりと掴む。それにほんのちょっと顔をしかめてから、岡本君は申し訳なさそうに「うん、ごめんお父さん」とぽつりと言った。


 ああ、この人が岡本君のお父さんか。迎えが来たなら、もう大丈夫だよね。よし、今度こそ本当にさっさと行こう。そう思いながらローファーに足を通していたら、余計な……本当に余計な一言が岡本君の口から漏れ出てきたのが聞こえた。


「そこにいる安藤が、僕を保健室まで連れてってくれて何とか。同じ図書委員なんだ」

「おお、そうか。すみません安藤さん、誠也君がお世話になりました」


 ちょっとちょっと~! 岡本君、本当何言い出すのよ~!


 背中越しにそんなふうにお礼を言われて、無視できるような神経はあいにく持ち合わせていない。ぎ、ぎ、ぎ……と錆びた機械みたいにゆっくり肩越しに振り返ると、おじさんがにこにこと愛想のいい笑顔であたしを見ていた。

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