第30話
「……何それ、どういう状況?」
三十分後。右足の膝あたりに大きな擦り傷を付けてきたタンクトップ姿の美琴が保健室のドアを開けるなり、そんな事を言ってきた。
無理もないと思う。今朝までさんざん天敵扱いしてきた相手と、他の誰もいない保健室で二人きり。しかもその相手が保健室のベッドで横になっているとあれば、嫌でもちょっとした想像くらいしてしまうというもの。少なくとも、あたしが美琴の立場だったら絶対そうする。
だから、あたしははっきりと「違うから」と否定した。
「せ、先生は今、岡本君ちに連絡を入れに行ってくれてて……。とにかくそういうんじゃないの」
「何だ。てっきり智夏が岡本君を襲ってるのかと」
「そんな訳ないし」
本気で変な誤解をしてるんじゃないって事は、美琴のおかしそうに笑っている顔を見れば一目瞭然なんだけど、何だかムキになってしまう。それを悟られたくなくて、あたしは右膝にうっすらと血を滲ませている美琴の手を取って、強引に椅子に座らせた。
「どうしたの、この怪我」
「ハードル失敗して転んじゃった。大した事ないって言ってるのに、皆がうるさくて」
「そりゃうるさくもなるでしょ。美琴は陸上部期待のエースなんだから」
勝手知ったる何とかって訳じゃないけど、あたしは備え付けの棚の中を勝手にいじって消毒液とガーゼ、それから大きめの絆創膏を引っ張りだす。ちょっと毒々しい茶色をした消毒液をガーゼに染み込ませて擦り傷を拭ってやると、少ししみたのか美琴がきゅっと眉をしかめた。
「ほら、やっぱり痛いんじゃん」
「できたばかりの傷に消毒液塗るって、痛いの当たり前だし」
「はいはい。でもよかったね、本当に大した事なくて」
「うん……」
滲んでいた血と砂埃をきれいに拭き取って、後は絆創膏を貼るだけと準備をしているあたしの目の前で、美琴は自分の擦り傷をじっと見つめていた。
変な強がり言ってるけど、何だかんだ言って責任感の強い美琴の事だから、きっと万一、ひどい怪我でもしていたらと今頃になって怖くなったに違いない。だから、小さい子供のおまじないみたいでちょっと恥ずかしかったけど、「早く治りますように」と言いながら、あたしは絆創膏を貼ってあげた。
美琴が「ありがと、智夏」と言ってくれたのと、養護担当の先生が保健室に戻ってきたのはほぼ同時だった。先生は「遅くなってごめんなさいね」とあたしに一言告げてから、ベッドの中の岡本君に声をかけた。
「岡本君、お父さんと連絡取れたからね。あと十分くらいで来てくれるそうよ」
「そうですか、すみません……」
それまで静かに目を閉じていた岡本君が、そろそろとまぶたを開けながらそう答える様子に美琴はちょっと驚いていた。
「あれ? 騒がしくしてごめん、起こしちゃった?」
「いや、いいよ。最初から起きてたし、さっきよりはマシだから」
岡本君はそう言いながら、ゆっくりとベッドから体を起こす。「さっきよりは」のさっきって、美琴達が部活している声や音の事を言ってるの? 美琴、一生懸命頑張ってて、それで怪我までしたってのに……。
そう言いたかった文句の言葉は、何故か口から出す事ができなかった。
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