第27話

走っていけば十秒もかからないほどの図書室への短い道のりを、あたしはよろよろともたつく足取りで進んだ。


 持ち上げる前に一番上にあった本のタイトルをちらっと見てみたけど、それすらも全然頭に入ってこない。数学が一刻も早くこの世から消えてなくなりますように。そんな事を願っているうちに、何とか図書室の扉の前まで辿り着く事ができた。


 さあ、とっとと返却手続きを済ませて、さっさと帰ろう。そう思ったのも束の間っていうか、今頃になってこんな事に気が付いた。参考書を両手で抱えてるせいで、ドアが開けらんない……!


 取っ手を掴んで横に動かさないと、スライド式のドアは開かない。自動ドアじゃないんだから、いつまでも突っ立っていたって中に入れる訳じゃない。でも、両手にがっちりと参考書が収まっているこの状況じゃ、どう頑張ったって取っ手を掴めっこない。一度参考書をどこかに置いてみる事も考えたけど、あたしの両腕はもう結構限界に近くてぷるぷると震えちゃってた。


 どうしよう、このままだと参考書を落としちゃう。それで万一、どこか傷めちゃったりしたら面倒くさい事に……。


 あたしの頭の中で、どうしようって五文字といらだちの感情ばかりが埋まっていく。その処理に忙しくしていたら、ふいにあたしの両腕にかかっていた重みがふわりと少なくなった。見れば、参考書の数が減っている。


「え……」

「大丈夫?」


 今朝方ぶりの声に、びくりと体が過剰反応する。真横から聞こえてきた声に振り返ると、すぐ横に岡本君が立っていた。右手にはさっきまであたしを苦しめていた参考書の半分を抱えている。


「半分持つよ」


 岡本君はそう言うと、空いていた左手でドアの取っ手を掴んで中に入る。あたしはまだ両手が塞がったままだったけど、重みが少なくなったおかげですんなりと岡本君の後に続く事ができた。だけど。


「ねえ、ちょっと」


 月曜のカウンター当番の一年生が、こっちを見てぎょっとしている。岡本君はそんな事全く気にする様子もなく、あたしから奪った参考書の半分をカウンターの上に置いて「返却お願いします」と一年生に告げた。


「あ、はい……。でも、これって先生用の参考書で、その……」

「分かってる。後は安藤に聞いて」


 相変わらず淡々とそう言うと、岡本君はあたしにちらっと視線を向けた後でカウンターから離れていく。残されたあたしと一年生の間には、何とも言えない微妙な空気が流れた。


「あの……何か、ごめん?」

「い、いえ……」

「二年B組の田淵で借りてると思う。タ行の貸出欄チェックしてみてくれる?」

「は、はい」


 田淵の貸出票はすぐに見つかり、返却作業は無事に済ませる事ができた。あたしは一年生にお礼を言うと、カウンターから離れた席に座っている岡本君の元へと向かった。

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