第26話

放課後の事だった。部活の準備の為にさっさと教室を飛び出してしまった美琴の背中を見送った後、本屋に寄ってファッション雑誌のチェックをしようかななんて思いながら席から立ち上がったあたしに、まだ教壇に立っていた田淵が偉そうに話しかけてきた。


「安藤。これ、図書室に返しておいてくれるか?」

「……は?」


 あたしは思いっきり眉間にしわを寄せて、不機嫌そうに声をあげる。だって、そうじゃん? 教卓の上には田淵が使ってたと思われる数学関連の分厚い参考書が、これでもかとばかりに何冊も積み上がっている。これをあたし一人で持っていけって事? いや、それ以前の問題として自分が借りたんだから、自分で返しに行くのが常識っていう話なんじゃないの?


 それを口に出そうとしたけれど、田淵はそんな隙を一切与えてくれずに口早に言葉を並べ立ててきた。


「ちょっと野暮用があって急いでるんだよ。お前はうちのクラスの図書委員なんだし、俺が返しに行くよりよっぽど早いだろ。そういう訳で、まあよろしく頼む。本を返し終わったら、寄り道せずにまっすぐ帰れよ」


 そういうところが、あんたが女にモテない理由なんだと声を大にして叫んでやりたかったけど、田淵もさっさと教室を飛び出していく。ずんずんとした足音が長く廊下に響き渡っていた。


 イライラする、何なのあれ。マジでムカつく。


 そんな気持ちを抑える為に、あたしは学生カバンの中から最強のアイテムを取り出す。昨日付けで超特別なアイテムとなった、この世でたった一つの物。汐のサインが書かれてある生徒手帳だ。


 昨日は夕飯が終わってお姉ちゃんが帰ってしまってからも、それからお風呂に入った後も、何なら眠りに落ちる直前に至るまで、あたしは生徒手帳を開いてニマニマ笑ってた。流れるようにボールペンのインクを滑らせて出来上がった汐のサインからは、とんでもない量のマイナスイオンが出ているような気がする。その証拠に、ほんの数秒前までふつふつと沸き立っていたあたしのいらだちがあっという間に静まっていった。


 まるで魔法の呪文書を手に入れた気分だ。このサインを見ていれば、汐のあのまぶしい笑顔も同時に脳内再生されて、何でもうまくいけるような感じがする。田淵なんて、しょせんいろんな意味で小さい小さい。


 フリースペースのあるページまで生徒手帳をめくっていき、汐のサインをじいっと見つめる。よし、充電完了。汐、あたし頑張るからね。


 心の中でそう汐に話しかけると、あたしは教卓の上の参考書達をえいっと持ち上げる。やっぱり、ずしりと重かった。

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