第17話

「……何やってんの」


 一瞬、ひやっと空気の温度が下がったような気がした。それくらい岡本君の声は淡々と……ううん、いつも以上に感情がこもっていなかった。


 思わずびくっとしてしまったけれど、別にそんなに悪い事をしてる訳じゃないし、そもそも作業自体はキリが付いてる。そう思ってたから、あたしは特に悪びれる事もなく「別に?」と返した。


「『Tiina』チェックしようと思ってるだけ」

『まだ仕事中だよ」


 そう言う岡本君の手元には、まだ補修が済んでいない単行本サイズの本がどかっと詰まれてる。だからそんな量、週に一度の昼休みと放課後だけで終わる訳ないじゃん。しかもあと二十分で今日の当番終わるし。


「あたしの分はもう終わったから」


 あたしは目の前にある『Tiina』を手に取った。今日の表紙モデルはミチカさんかぁ。彼女も美形タイプで、自前のロングヘアを服のテーマに合わせて寄せていくのがたまんないんだけど、やっぱり汐が表紙を飾らないとダメでしょ。何で今月は巻末モデルなのかなぁ。


 その事にちょっとだけ不満に思いつつも、その汐の写っているページまでめくっていこうとしてたら、ふいに『Tiina』があたしの手の中から消えた。それと同時にあたしのすぐ横に立っている気配に振り返ると、眉をしかめた岡本君がそこに立っていて、その右手には『Tiina』がある。取り上げられたんだと、すぐに分かった。


「まだ二十分ある」


 岡本君が言った。


「こんな下らない雑誌見るより、もっとやるべき事があるだろ。あと一冊くらい本を直せる時間はあるし、何なら早めに掃除を始めたっていいんだ」

「はぁ!?」


 あたしは大声を張り上げた。もう利用してる生徒もいないし、司書の先生もさっき職員室に行ってくるって言って出かけちゃったから、正真正銘、図書室にはあたしと岡本君しかいない。だから全くもって遠慮なしに、あたしは言ってやった。


「いい加減にしてくんない!? 何よ、下らないって。あんたからすればそうかもしれないけど、あたしにとってはものすごく大事なんだから! あんたの身勝手な価値観、あたしに押し付けてこないで!!」

「……っ」


 あ、まただ。あたしが言い切った瞬間、岡本君はその上半身をだんだん丸くしていって、両手で支えるようにして持ち直した『Tiina』に視線を落とし始めた。顔色が少し悪くなって、小刻みに震え出したのも前と一緒だ。


 だとしたら、この次は謝ってくるかなと思ったけど、今日は許してやるもんかとあたしは心に決めた。


 さっき岡本君が言ってた事の後半部分は、かろうじて正論だと認めてあげる。でも、『Tiina』を二回も侮辱したのは許せない。つまんなそうなもの? 下らない? ふざけないでよね。こんな娯楽も何もない退屈な田舎町の中、あたしにとってはかけがえのない大事なライフワークなのに。


 これだけ腹が立つ事なんてそうそうないって思えるくらいに、あたしの機嫌はどんどん悪くなっていく。ここまで無神経に人の神経逆撫でしてくる奴とは思わなかった。もう絶対許してやらない。


 そう思ってたら。


「……掃除始めよう、安藤」


 今度は、謝ってこなかった。ずいぶんバツが悪そうにそう言いながら、『Tiina』をラックに戻した岡本君はそのまま雑巾を取りに図書室の奥へと向かっていく。そして、司書の先生が職員室から戻ってきても、カウンター当番の時間が終わって図書室を出て行っていい頃になっても、岡本君はひと言も口をきこうとしなかった。


「何かあった?」


 司書の先生がまた心配そうに尋ねてきたけど、あたしは「知りません」としか答えなかった。

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