第14話

「…お~い!今日の作業はここまでだ!日当を渡すから、該当者は取りに来~い!」


 夜が明けようとしている午前六時。機械音がけたたましく響くアスファルト道路に向かって、先ほどの現場監督が例の野太い声を思いっきり大きく張らせる。


 それに気が付いた平本亮平は持っていた大きめのスコップを肩から下ろすと、「ふい~っ…」と何とも情けない声を発しながらその場にしゃがみ込んだ。


「キッツい…!日当の高さに飛び込んだけど、やっぱ工事関係のバイトはキッツいな…!」

「アハハ、お疲れ様です平本さん。立てますか?」


 疲れ切ってしゃがみ込んだ亮平の後ろには、掘り崩された古いアスファルトの破片をこれでもかとばかりに詰め込んだいくつかの工事用一輪車。そして、それらを余裕かつ満面の笑みで次々と運んでいくハデスがいた。


 亮平の口から、再び「ふい~っ…」と声が漏れる。


 約五時間ほど一緒に働いていたが、このハデスという男は誰よりもたくさん力仕事をこなしていたというのに、全く疲れの色を見せないばかりか、ずっとニコニコと笑っていた。


 そのせいか、彼の二本の牙もずっと見えっぱなしだったというのに、屈強な体格の男達ばかりでむさ苦しいはずのこの現場の雰囲気は終始穏やかというか、何だかとても温かい感じに思えて。初めての仕事でひどく疲れはしたが、亮平の緊張もあっという間に解けてしまったのだ。


「あ、はい…。明日からの筋肉痛が気になるけど、まあ何とか。ハデスさんからもらったトマトジュースのおかげっすかね」


 苦笑を浮かべながら、亮平はスコップを杖代わりにして、下ろしていた腰をゆっくりと持ち上げる。そんな彼に、ハデスはとても嬉しそうな顔を見せながら、さりげなく手を貸した。


「そうでしょう、そうでしょう!あのトマトジュース、僕も初めて飲んだ時は感激したものなんです。人間って、本当にすごいですよね。大牙君も飲んでくれたらいいのに」


 あ、まただ。亮平はそう思った。


 何となく気になって、聞こえてくる限りつい数えてしまっていたが、ハデスはこの五時間の間で「大牙君」という名前を実に八十三回も口に出した。ちなみに、今ので八十四回目だ。


「大牙君は何をやらせても上手でね、本当にいい子なんです」

「大牙君、昨日の小テストで全教科百点取ったんですよ!すごいでしょ?」

「僕にとって、大牙君は何よりの自慢なんです」


 現場の仲間達にそんな事を話しながら、楽しそうに作業をしていたハデスの姿を思い浮かべる。先ほどのじんましんはもうとっくに消えていて、跡形すらなかった。


「ハデスさん」


 首元に巻いたタオルで汗を拭っていたハデスに、亮平が言った。


「さっきのトマトジュースのお礼って言うのもあれっすけど、日当もらったら牛丼でも食べに行きません?俺、おごるっすよ?」

「あ~…それは嬉しいんだけど」


 ハデスは、東の空をちらっと見上げた。先ほどまで真っ暗だったそこは、だんだん薄い藍色となりつつある。


 ちょっと困ったような顔をしながら、ハデスが言った。


「あと一時間くらいで太陽が出ちゃうから、また今度ね。でも、よかったら僕のうちで朝ごはん食べてく?どうせ大牙君のお弁当作らなきゃだし」


 そして、ごそごそと作業着のポケットから取り出してきたのは、SPF50+の日焼け止めクリーム。


 それを見て、亮平はやっぱヴァンパイアなんだなぁと思うが、それよりもう一つ浮かんだ方を口に出していた。


「あんた…どこの美魔女っすか」

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