第109話



「…さあ、純。もうそろそろ行くぞ」


 小一時間後。家から一切の荷物を積み終えた大型トラックの助手席の窓から、あいつの父親だろう男ののっぺらぼうが顔を出しながら言ってきた。


 あいつの母親の女のっぺらぼうは、自家用車で一足先に出てしまっていた。数日前に最低限の生活用品を引っ越し先に送ってあるので、先に行ってその荷解きをするらしい。だから、俺があいつの母親と初めて会話を交わしたのは、あいつの告別式の時になってしまった。


「うん、分かった。でも、あともうちょっとだけ」


 肩越しにそう答えて、再び俺と圭太を振り返ったあいつの両腕には、さっきの花束とミニショールの入った包みがあった。


「二人とも、今日は本当にありがとう」


 ぺこりと軽く会釈してから、あいつが言った。


「さっきはああ言ったけど、やっぱりお見送りがあるっていいね。もし二人が来てくれなかったら、窓から景色見ながら泣いちゃってたかも」

「そんな…当然ですよ、こんな事。リハビリ頑張って下さいね!」


 俺のすぐ隣で、ずずっと鼻をすする音が聞こえる。圭太の奴、泣いてんのか?


 やめろよ、男がみっともない。これが今生の別れって訳じゃないだろ。きっと、次のあいつの言葉は決まっている。


「やだ。泣かないでよ、桐生君。ちょっとでも体調がよくなったり、夏休みとかになったらすぐにこっちに戻ってくるから」


 ほら、な。ほんの数か月程度の付き合いだったけど、あいつはそういう奴だ。周りの人間をすごく気遣えて、その時一番欲しい言葉をくれる奴なんだ。


「だから桐生君、それまで元気でね。もちろん俊一君も!」


 圭太の方をしっかり見て、それから次にあいつは俺の方に顔を向けてきた。


 あいつの視線だけしか感じられない俺には、今のあいつがどんな表情をしているのか全く分からない。ただ、一つだけ頭に浮かんだのは、「これでいいのか」という思いだった。


 他の連中にそうしたように、別に俺達にも本当の事を打ち明ける必要はなかった。いくら強引に見送りに来たといっても、そのまま嘘をつき通してもよかったはずなんだ。


 あいつは、真実をきちんと話してくれた。損得勘定抜きで、ただの後輩であるはずの俺達に対して真摯に応えた。


 なのに、俺だけがフェアじゃないような気がして、それがたまらなく嫌になって…。


「…なあ。小泉八雲が書いた『むじな』ってタイトルの話を知ってるか?」


 気が付けば、そんな言葉が口から飛び出していた。

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