第93話



 中学生活最初の二学期が始まった。


 夏休みの大半を『満腹軒』の手伝いに明け暮れていた圭太は、どうやら相当な数の出前をこなしていたらしく、黄色い防犯ワッペンを着けたまっくろくろすけへと変貌していた。


「…か、垣谷君?僕だよ?」


 見覚えのある黄色い自転車に跨っていたというのに、あまりにも真っ黒に焼けてしまった圭太の姿をなかなか認識する事ができず、圭太が不安げにそう声を発するまで俺は安心する事ができなかった。


 田室先生達でさえ、ここまで黒くなかったぞと思いながら、俺は黄色い自転車の荷台に腰を下ろした。


「お前のそんな真っ黒い顔、初めて見たからさ」


 嫌でもこの時期は、あたりは真っ黒なのっぺらぼうが増える。どんなに美白って奴を謳った時代であっても、年々強くなっていく紫外線の影響は少なからず受けるもんだ。


 だから、今の圭太が他ののっぺらぼう達の中に紛れてしまったら、ますます見分けがつかなくなるだろう。


 そんな事をぽつりと言えば、すかさず圭太は「うん、ごめんね」と言ってきた。


「ちょっと買いたい物があってさ。でもこづかいじゃ足りなかったから」

「それでバイトしてたって?」

「父さんが夏の万馬券当てて、超ご機嫌だったんだ。思ったよりたくさんもらえてラッキーだったよ」

「へえ~。それで?何だよ買いたい物って」

「内緒」

「は?何だそれ?」

「まだ内緒だよ」


 そう話を切り上げて、圭太はペダルを踏む両足の力をさらに込めた。


 「欲しい物」ではなく「買いたい物」と言った。だったら圭太の性格上、買うのは自分の物ではなく、誰かの為の物だ。


 一瞬、俺の誕生日プレゼントかとうぬぼれてはみたものの、よく考えなくても俺の誕生日は冬だ。今から用意するにしたって、気が早すぎるにも程がある。


 おじさんやおばさんの誕生日でもないはずだし、俺の両親の誕生日はとっくに過ぎてるし…ああ、ダメだ。さっぱり分からない。


「圭太。ギブするから教えてくれよ」

「また今度ね。その時になったらちゃんと教えるよ」


 そう言って、圭太は俺を荷台に乗せたままどんどん自転車をこいでいく。やがて学校の校舎が近付いてきて、生徒会や風紀委員会の奴らの姿がちらちらと見えてきたが、圭太が自転車を止める様子はなかった。


「おい、圭太。またあいつに何か言われるぞ?」


 自転車のスピードを落とすよう、圭太の背中を軽く何度か叩いてみたが、圭太は「大丈夫だよ」と言った。


「今日はいないから…」

「え…」

「ほら、正面突破するよ」


 風紀委員会ののっぺらぼうが俺達に気付いて前に立ち塞がろうとしたが、圭太は自転車を止める事なく振り切って、学校の敷地内に悠々と入ってしまった。


 そして俺の聞き間違いか、それとも単に聞き逃がしてしまったのか…あいつの、あの特徴的な涼やかな声が校門の所で全く聞こえなかった。

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