第五章 お久しぶりですね
第85話
「どうだい、最近の調子は?何か大きな不調はなかった?」
「…いえ、特に。まあまあです」
夏休み最後の診察日。正面に座った田室先生の問いかけに、俺はひどくおざなりに答えた。
あれから俺は、あいつにも圭太にも会わない日々を過ごしていた。
夏休みは特にのっぺらぼうどもの数が多くなるから、基本的に家に閉じこもるか、病院で田室先生に会っているかの2パターン生活を送るのが常だ。だから、俺の家は旅行なんてした事がない。
そんなもんだから、夏休みの宿題なんて八月の頭には全部終わらせた。それからはもうただヒマをもてあそび、はっと気が付いた時に、あの『アメイジング・グレイス』のミニCDをエンドレスでかける。そして、CDの音声にあいつの歌声を重ねて聴くという何とも情けない習慣を身に付けてしまった。
また、あいつに謝らければならない事が増えてしまったと思う半面、どうして圭太にも声をかけてやらなかったんだという怒りがまだあった。
圭太は、俺なんかよりもずっと親しみやすい後輩であるはずだ。あいつの事を崇拝に近い感じで尊敬しているし、何よりあいつを立てるという事を忘れない。本当に応援してほしい、きちんと自分の歌を聴いてほしいと思うのなら、圭太は絶対に欠かせないはずだ。
なのに、あいつは圭太をないがしろにしてたんだ。何が話しそびれていただ、忘れていたの間違いだろう?ふざけやがって…。
そんな怒りを今少しずつ消化しつつあるのが、あのミニCDだっていうんだから、何という矛盾というか…情けなくて恥ずかしい。
その気持ちが思い切り態度に出てしまっていたのだろう。ぷいっと横を向いて、適当に答えている俺の姿を見て、田室先生は急に何かを思いついたかのようにこう切り出した。
「俊一君、明日よかったら一日俺と付き合ってくれないかな」
「え…?」
「ちょうど人手が足りなかったんだ。せっかくの夏休みをそんな
先生の言葉に、俺は反射的に両手を上げ伸ばして、自分の頬を引っ張ったり軽くつねったりしてみた。
どんなのが憂鬱そうな顔だっていうんだ?鏡を覗いたところで、自分の顔ものっぺらぼうに見えてしまう俺には、全く見当が付かない。
今度は鼻の頭の所をおもむろにつまんでみたら、田室先生の方から空気が吹き出す音が聞こえてきた。
「ぷふっ。そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
「何だよ、田室先生が言ったくせに」
「大丈夫だよ。明日の夜には、そんな憂鬱さは忘れてるだろうから」
やたら自信たっぷりな感じで聞こえてきた田室先生の声によって、また俺の中のイライラが少し消化されていった。
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