第81話
自前なのかレンタルなのかは知らないし、距離だって離れているからその白いドレスの細かい特徴もよく見えない。第一俺はあいつの顔すら知らない。なのに、ごく自然にこう思った。「すげえ似合ってる」と。
それは圭太も同じだったようで、すぐ耳元でほうっと漏れ出るような息遣いの音が聞こえてきた。
「きれいだなぁ…」
そして一拍置いた後、ぼそりと聞こえてきた圭太の声は何だかうっとりとしていた。この時の圭太の顔が見えていたなら、いくらなんでも俺は気付けていたと思う。圭太があいつに恋をしていたという事くらい…。
壇上へと意識を戻すと、あいつはゆっくりとした歩調を変える事なく、壇上の真ん中にセットされていたマイクスタンドの前までやってきた。そして俺達のいる客席側に深々と一礼すると、ピアノの方へと顔を向けた。
そこには演奏者であろう女ののっぺらぼうがいた。あいつとはまた違ったタイプの水色のドレスを着ていて、呼吸を合わせようとしているのかあいつと顔を見合わせている。そして、こくりと一つ頷くとひょろりと長い両腕を鍵盤の上へと運ばせ、滑らかに指を動かし始めた。
その途端、会場中に流れだしたのはCDで何度も何度も聴いたあの前奏。そして、あいつの歌声だった。
俺も、それからきっと圭太も、あいつの本格的な歌声を聴くのはこれが初めてだった。特に俺がいつも聞いていたのは図書室でのあの鼻歌ばっかりで、まともな歌詞すら口ずさんでいなかったはずだ。
なのに、いつそんなふうに歌えるようになるまで練習してたんだよっていうくらい、あいつの歌は情緒に満ち溢れていた。マイクスタンドなんかこれっぽっちも役立っていないんじゃないかってくらい離れていたのに、あいつの声量は広く深く体育館の中を駆け巡っていき、空気を震わせた。
全部英語の歌詞で歌っていたから、相変わらず俺にはさっぱり分からない。でも、あいつが心を込めて歌っているこの数分間に全てを駆けているんだという事は、肌にチリチリと焼けるように伝わってきた。
真っ白できれいな格好には余りあるほどの情熱が、あいつの中に確かにあった。
ピアノの演奏と共に長く尾を引いてあいつの歌声がやんだ時、これまでとは比べものにならない大きな拍手と歓声が起こった。
すごく驚いたものの、俺は一切パニックになる事なく、圭太と一緒に拍手をした。あいつはこっちに向かってまた深々と一礼すると、まるで何事もなかったみたいにゆっくりとした歩調で袖へとはけていった。
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