第80話

それから二十分くらいの間、俺はただぼんやりとした感じで壇上を見つめていた。


 独唱の部の最初の出場者は、どうやら俺の母さんと同じ年くらいのおばさんらしく、あるミュージカルの代表曲を歌っていた。どうもこのコンクールは課題曲なんてものが決まっていず、出場者の好きな曲を歌えるようだ。


 金切り声かと思えるくらい甲高い音程を繰り返したおばさんのっぺらぼうの次は、パリッとしたタキシードに身を包んだ男ののっぺらぼうだった。そいつは太い声のわりには柔らかく伸びていく感じのオペラ曲の一節をピアノの伴奏に合わせて気持ちよさげに歌いきっていった。


 おばさんののっぺらぼうの時もそうだったが、歌い終わった男ののっぺらぼうがこっちに向かってゆっくりと頭を下げた時、周りにいる奴らが盛大な拍手をした。家族か知り合いでもいたのか、その中から大きな歓声も聞こえてきて、俺は思わず反射的に耳を塞ぐ。それに気付いた圭太が、また俺に耳打ちしてきた。


「だ、大丈夫…?」

「ああ、ちょっと驚いただけだ」

「本当?次が瀧本先輩の番だからさ、あともう少しのガマンだよ」


 圭太のその言葉に、俺は変な気分になった。


 確かに俺は、初めて来る場所があまり得意じゃない。誰の顔も分からないのだから、突然の大きな声や物音にも必要以上に驚いて、ひどい時にはパニックになる事もある。


 だけど、ここに来る時や今だって、俺はガマンをしているつもりは一切なかった。誘われたって事もあるけど、俺自身がはっきりとあいつの歌を聞きたいと思っていたんだ。だから、パニックを起こさずにこうしてまだ座っていられるんだろう。


「本当に、マジで大丈夫」


 俺は、ずっとこちらを見つめてくる圭太に言ってやった。


「あいつの歌が終わったら、とっととここ出てマックでも行こうぜ」

「う、うん…」


 圭太がこくりと頷く。すると、すぐさままた女の声のアナウンスが響いてきた。


『次は、エントリーNo.3、瀧本純さん十五歳。歌っていただくのは「アメイジング・グレイス」です』


 そのアナウンスが終わるか終わらないかというタイミングで、真っ白いドレスを着たのっぺらぼうが壇上の袖から出てきた。


 さっき気にした通り、そののっぺらぼうは袖と大きなピアノの間を狭そうにくぐり抜けた後、足を引きずるようなゆっくりとした歩き方で壇上の真ん中へと進んでいく。


 あいつだ――!


 そう思った瞬間、俺の目はそこへと釘付けになった。壇上の上に取り付けられたいくつものライトに照らされてより際立つ白いドレスが何よりの目印だった。

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