第52話
「…あっ。よかった、いたぁ!」
両目を閉じて、静かに凪いでいる空気を楽しんでいた俺は、突然のその声に大げさなほどびくりと反応してしまった。
腰かけていた自分の椅子に足を引っかけて、ガタンと揺らす。それと同時にまぶたを開いてみれば、教室の扉の所にいたのは、セーラー服を着たのっぺらぼうだった。
誰なのかは、すぐに分かった。この特徴的で涼やかな声は、あいつしかいない。俺は有意義な時間を邪魔されたのが面白くなくて、ぷいっとそっぽを向いた。
それに気付いているのかどうかは分からなかったが、あいつは例の歩き方でゆっくりとこちらに近付いてくる。まさか、一日にこう何度も会う羽目になるとは思わなかった。
「はぁっ…」
やがてあいつは俺の席のすぐ前まで来ると、短い声と共に大きく息を吐いた。疲れているのか、どこか安心したのか、よく分からない感じの息の吐き方だった。
「まだ残っててくれてよかった。職員室で桐生君を見かけたから、どうしたんだろうって思って」
「……」
「今朝の事で、二人がケンカでもしたんじゃないかと不安になっちゃった。よかった、私の早合点で」
ちらりと見れば、あいつの右手がその胸元に添えられていて、ホッとしたと言わんばかりのジェスチャーを見せている。実に分かりやすいそのしぐさに、俺はちょっとあきれてしまっていた。
「何でお前がそんな事を気にするんだよ」
相手が生徒会長だという事をすっかり忘れて、俺はずいぶんと生意気な口調で会話する。案の定、あいつはそれにすぐ反応した。
「ちょっと。仮にも先輩で生徒会長なんですけど、私?」
「知るかよ。お前の顔なんて覚えてないし」
これは事実なので、微塵も隠す事なくそう言ってのける。そうすれば、すぐにどこかへ行くと思っていたのだが、あいつは結構しぶとかった。
「じゃあ、覚えてよ。私の顔」
あいつは、俺のすぐ隣の席に座ると、その椅子ごとさらにずいっと近付いてきた。そして「ほら」と、顔を突き出してくるかのようにこちらに視線を向けてきた。
「どう?これで覚えやすくなった?」
距離にして、わずか一メートル弱といったところか。きっとこの時のあいつは、俺が近眼だとでも思っていたのだろう。じゃなきゃ、何の躊躇もそれ以上の他意もなく顔を近付けてこられる訳がない。
それくらい、あいつは純粋で天然だった。
そして何より、月に何回かの議会で顔を合わせるだけの圭太の事も、まだ会って間もない俺の事も心配してくれるほどの優しさを持っている奴だった。
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