第40話

入学式の日。俺は両親より一足早く家を出て、中学校へと向かった。


 中学校までは徒歩で二十分といったところだ。自転車通学は当然認められていたものの、俺は新しい自転車を買ってもらわなかったし、これまで通り歩いて通学する事に決めていた。


 これも俺の頭の中の不具合の厄介な部分だ。人の顔を認識できないという事は、とっさの判断もできかねないかもしれないと田室先生が言っていた。


『あまり人の多い所で走ったり、自転車に乗ったりしないようにね』


 自転車に乗る練習は小学二年生に上がる頃には済ませていたが、正直それ以降乗っていない。


 もし万一、誰かとぶつかりそうになっても、たぶん俺は謝る事ができない。それどころか、無視してそのままどこかへ行ってしまう可能性だってあるだろう。そう考えると、自転車に乗る気など全く起きなかった。


 なのに、通学路の途中で出会った圭太ときたら。


「おはよう、垣谷君!ねえ、学校まで一緒に行こうよ」


 たぶん、今度は競輪でひと儲けしたおじさんのこづかいで買ったのだろう。真新しい圭太の自転車は、これでもかとばかりの派手な黄色だった。学ランの袖にもいつもの黄色い防犯ワッペンがくっついている。


「おはよ。お前…どこで買ったんだよ、そんな自転車」


 ハンドルからサドル、ペダルまで黄色な自転車を指差しながら、俺はできる限りあきれたような声をかけてやる。すると圭太は「元々は黒色だったんだよ」とケタケタ笑った。


「でも、昨日家族三人がかりで黄色く染め直したんだ。黄色い自転車で通っちゃいけないなんて言われてないしね」

「すっかりお前のイメージカラーになっちまったな」

「あはは。垣谷君のせいだと言いたいけど、僕も何か黄色い物を身近に持ってないと落ちつけなくなっちゃったから。だから、それでいいよ」


 あくまで自分がそうしたいから。そういうスタンスだから、もう君だけのせいじゃない。


 そんなふうに言われたような気がして、何となく照れ臭くなった俺は、自転車の前かごに学生鞄を放り込むと、そのまま後ろの荷台に回って腰を落とした。


「ええっ!?ちょっ…垣谷君!?」

「俺に走れってか?学校まで乗せてけ」

「勘弁してよ~。入学早々怒られたらどうすんの…」


 ぶつぶつ文句を言うくせに、圭太はペダルをこぎ出した。そんなに体重はない方だと自負しているから、圭太の黄色い自転車はゆっくりとだが確実に中学校へと向かっていく。


 ふと、ふわりと春の風が俺の頬を撫でた。これが自転車に乗っている感覚かと思ったら、俺はまた一つ圭太がうらやましくて仕方なくなった。

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