第36話



 これから、あいつと初めて会った時の話をしようと思う。


 …とは言っても、これはあいつが話して聞かせてくれた事であり、俺自身は全く覚えていない。それくらい、俺にとってはあまりにもささやかな事であったけど、あいつにとっては一生忘れられないくらい衝撃的な事だったという。


 だから思い出せるだけ、後はなるべく忠実に話していこうと思う。


 あいつと初めて会ったのは、俺と圭太が小学校の卒業式を迎えた当日の事だった。


 両親やおばさんが学校にかけ合ってくれたおかげで、俺はその後の進級も圭太とずっと同じクラスでいる事ができた。


 学校側としては、ひとまずほっとしたかもしれない。訳の分からない頭を持っている生徒を気遣ってばかりいるよりも、自分からサポートしますと言ってのけた圭太に任せてしまった方が安心するというのが本音だったかもしれない。


 だが、そんな大人の思惑に圭太はいい意味で鈍感だったし、むしろ良かったと言わんばかりに俺の側にいてくれた。


 学年が上がるにつれ、いろいろとこなさなければならない行事や雑務が増える。それはすなわち、関わり合いにならなければならないのっぺらぼうの数も増えるという事であって、そのたびに気分が悪くなったり不機嫌になる俺を、圭太はいつも側でフォローしてくれた。


 卒業式の時もそうだった。


 二月の中旬あたりからこれでもかと言わんばかりに練習を繰り返してきたのに、いざ本番ともなると、入学式の時以上に体育館へと詰めこんできたのっぺらぼうの数に思わずひるんだ。


 来賓ののっぺらぼう、保護者ののっぺらぼう、在校生代表として参列している五年生ののっぺらぼう…。そいつらの数えきれない視線が背中に突き刺さってきて、とても両親やおばさん達を捜す気力も余裕もなかった。


 そんな中、隣の席に座っていた圭太が、カタカタと小刻みに震えている俺の手をぎゅうっと強く握って言ってくれた。


「大丈夫だよ、垣谷君。練習通り、僕の真似をするだけでいいんだからさ」


 練習通り…。


 俺の頭の中の不具合は、周囲ののっぺらぼう達の表情を読み取って、次に何をどうすればいいのかと判断する能力に欠けている。


 だから、何度も卒業式の練習をやってきたといっても、俺の場合はただ機械的に圭太や他ののっぺらぼう達の動きを真似してただけだ。立ったり座ったり、立ったり座ったり…。


「卒業証書授与」


 教頭先生がこう言ったら、僕の方をじっと見ててね。一緒に壇上に上がるよ。


 教頭のその言葉を合図に、俺は圭太をじっと見る。いつかの参観日の時以上にこじゃれた紺色の子供スーツの背中には、かなり不釣り合いの黄色い防犯ワッペンが貼られていた。

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