第21話

そんな日々に慣れてしまっていたせいもあって、三年生に進級して新しい教室に足を踏み入れたとたん、ものすごく大きな声で「垣谷君!」と名前を呼ばれた時は、大げさだと思えるほどびくりと肩を大きく震わせてしまった。


「よかった、垣谷君と同じクラスだ!」


 反射的に顔を上げてみれば、教室の隅の方からたたたっと小気味よい足音を立てて近付いてくる一人ののっぺらぼうがいた。どこにでも売ってそうな市販の子供服はいいとして、やたらと縁とレンズが分厚いメガネをかけていた。


「ねえ、あの時は大丈夫だった?」


 今思い出してみれば、あの甲高い声は入学式の時とあまり変わっていなかったのだが、二年ぶりに聞くとあって、三年生になったばかりの俺はすぐにそのメガネののっぺらぼうを思い出してやる事ができなかった。


「…誰だよ、お前?前のクラスの時にいたのか?」


 不機嫌そうに(実際そうだったのだが)そう返事をしてやると、メガネののっぺらぼうはぴたりと歩みを止めて、小首を傾げてきた。


 そして、俺の方をじいっと窺うように見てきた後で、


「本当に分かんないんだね…」


 と、呟くように言う。そして、急に俺の背後に回ったかと思ったら、俺の背負っていたランドセルをおもむろに外させ、がら空きになった背中を手のひらで撫で始めた。


「これなら覚えてるでしょ?ほら、入学式の時」


 一瞬で蘇る、ちょっと嫌な記憶。でも、その中で唯一嬉しかったと思える記憶もそれ以上の大きさで俺の脳裏に浮かび上がってくる。


 俺は肩越しにメガネののっぺらぼうを振り返って、言った。


「お前、あの時の…?」

桐生圭太きりゅうけいただよ」


 メガネののっぺらぼう――圭太はそうやって、俺より小さな手を差し出してきた。


「よろしくね、垣谷君」

「…う、うん」


 なんだか変に思いながらも、差し出されてきた手を握る。まだどこか肌寒い春の陽気に反して、圭太の手のひらはとても温かかった。


 これが、今日に至るまでずっと長い付き合いになるたった一人の親友兼恋敵との最初の会話だった。

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